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寒さと人の親切が身にしみたNYの冬

今回のテーマ:冬の思い出

by : らうす・こんぶ

ニューヨークに住んでいる間に3回ほど、自分のアパートに入れなくなってしまったことがある。ニューヨークに来て2年目、私はブルックリンに住んでいた。あるとき帰ってきてアパートビルの玄関ドアを開けようとしたら、どうしても開かない。安いアパートだったので、鍵もそれなりの代物だったのだろう。

鍵にクセがあって、コツを習得しないとなかなか開けられないということも少なくない。帰国する前まで住んでいたアパートに日本の友人が遊びに来て数日泊まって行った。私は彼女にアパートの鍵を預けておいたが、私が留守のときに戻ってきた彼女は玄関のドアを開けるのに30分もかかってしまった。私は慣れているので問題なく開けられたが、その鍵のクセに慣れていないとこういうことが起こる。だから、誰かに合鍵を渡すときはちゃんと開けられるかどうか、実際にやってもらって確認することが大事だということを学んだ。ニューヨークの安アパートではね!

話をもとに戻そう。30分くらいガチャガチャやっていてもドアは開かなかった。ビルの入り口のドアなので住人が中にいれば開けてもらえるのだが、運悪くそのときは誰もいなかったようで、ピンポンを鳴らしても誰も出てこなかった。

仕方なく、そこに引っ越すまで間借りしていた知人宅に電話してその日はそこに泊めてもらった。ところが、数ヶ月後だったか、また同じことが起きた。も〜ほんとにやんなる!

それほど親しいわけでもない知人に、また夜中に電話して泊めてもらうのはとても気が引けた。かと言って、そのころはまだニューヨークには泊めてと言えるほど親しい友人知人はほとんどいなかったので、マンハッタンまで行って、シェラトンだったかヒルトンだったか忘れたが、ホテルのロビーで一夜を過ごした。

ソファに横になって寝る度胸もなかったので、ただただソファに座っていた。一晩がほんっとに長かった。週末に映画を立て続けに見たり、面白くて途中でやめられなくなるようなミステリーを読んでいるときなら時間が経つのはあっという間なのに、何もせず寝ることもできないとなると、時間というのはかくもノロノロと過ぎていくものか。

朝になってから大家さんのアパートまで行って事情を話してドアを開けてもらった。大家さんの電話番号を知らなかったのか、電話をしたのに大家さんが出なかったのか覚えていないが、とにかく大家さんの自宅まで行ったことを覚えている。いつも家賃は小切手を郵送して払っていたので、大家さんの住所を知っていたのは不幸中のさいわいだった。

もう1度はニューヨークに来て1年目の冬。私はクイーンズのリタイアした中国人夫婦が住む一戸建ての1階に住んでいた。入り口はひとつで、入ってすぐの階段を上った2階に大家さん夫婦が住んでいて、階段を昇らずに廊下の突き当たったところが私の部屋だった。

だから、入り口のドアの鍵は大家さんと共通。オートロックだったので、鍵を持たずにうっかり外に出て玄関のドアが閉まってしまうと入れなくなる。大家さんが在宅なら開けてもらえるが、留守だったらえらいことになる。もう、ここでどんなトラブルが起きたか想像できたでしょう。

はい、私は鍵を持たずにゴミを出しに出て、「あっ」と気づいたときにはドアは閉まっていた。大家さんは留守。ときは真冬で雪が積もっていた。ゴミを出すだけだからコートなんて着ていなかったし、足はサンダルばき。「あ〜〜〜」に濁点をいっぱいつけて叫びたいような絶望的な境地に立たされた。

頭の中は文字通り真っ白。大家さんはどこに行ったのか、いつ戻ってくるのかもわからない。息子のところにでも行って泊まってくる、なんてことになったら私は真冬のニューヨークで凍死するかもしれない。ニューヨークの緯度は青森と同じで、寒いときは零下15度くらいになることもあるのだ。

そこで、死ぬよりはマシだと思って、顔を見たこともないお隣さんの家のドアをノックした。そこにも中国人か台湾人のご夫婦が住んでおり、事情を話すと親切に家に入れてくれた。

でも、大家さんはいつ戻ってくかわからない。もし、今晩中に戻ってこなかったら、親切なお隣さんに私の寝る場所や食事のことまで心配させることになる。そう思うと心苦しかったので、電話を借りてマンハッタンの友人宅に電話し、その晩はその友達のところに泊めてもらうことにした。私は親切なお隣の奥さんにコートと手袋とブーツを借り、さらに電車賃まで借りてマンハッタンへ行ったのだった。寒さに凍えそうなときは人の親切がことさら身にしみる。

楽しい思い出もたくさんあるはずだが、ニューヨークの冬というと、パブロフの犬みたいに条件反射的に真冬に自分のアパートに入れなくなった情けない思い出とそんなときに親切にしてもらったこと、そして、「冬暑く、夏寒いニューヨークっ!」で書いたような暖房をめぐる大家さんとの攻防戦ばかり思い出すのである。


らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

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