NYリレー小説プロジェクト
マイキーとイーストヴィレッジの住人たち 第3話(リレー小説・無料編)
第三走者: 萩原久代
「そろそろデザートにしましょう。マイキー、あなたも食べる?」
チヨはマイキーの大好物のチーズケーキをスプーンですくってテーブルに置いた。
「チチッ、チー!」
マイキーはまるで”うわー、嬉しーい”とでも言っているようだった。
チヨはその昔、二人の子供が小さい時にしていたようにマイキーに話しかけた。話はチヨから一方的であったが、マイキーのうなずくような仕草が愛らしかった。 チーズケーキは、ニューヨークの老舗「ジュニアズ」のもので、リサからの差し入れだった。リサはミッドタウンにある英語学校で外国人に英語を教えており、月に一回くらい、学校の近くにある老舗のこのチーズケーキを買ってきてくれる。チヨ は、クリームチーズたっぶりのチーズケーキをそれほど好きではなかったが、マイキーが大好きだからリサの差入れをいつも大感激して受け取ることにしていた。
マイキーとの夕食は7時には終わった。チヨがキッチンで食器を片付けている間にいつのまにかマイキーは姿を消した。彼女はまた明日マイキーがやってくることを心待ちにしながら、リビングに座ってテレビをつけた。ネズミは夜行性なのでマイキーも仲間とどこかへ出かけたのだろう。でも彼女はアパートで他のネズミをほとんど見かけなかったし、ネズミが通る穴も見つけることが出来なかった。マイキーがどこからやって来るのか、チヨには見当もつかなかった。ただ毎日、お昼過ぎと夕方にどこからともなくチヨの前にマイキーは姿を現すのだ。
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ジョセフィーヌは、建物の壁の穴から穴へと自由に行き来するネズミを時に羨ましく思った。彼女のアパートにはいくつか穴があったが、隣人の部屋をのぞけて声も聞きとれるのは、キッチンの穴ひとつだけだ。 彼女にはどのネズミも同じに見え、マイキーを特定することは出来ない。が、頻繁にやってくるネズミが一匹いて、その鼻は他のものよりきれいな薄桃色で、栄養状態が良さそうな毛並みをしている奴だ、と思っていた。
他のネズミに比べると人を見ても警戒心が薄いようで、彼女と目を合わせて睨み合う瞬間があった。杖を振り回して追い回す相手は、大抵の場合はマイキーだった。 彼女は知る由もないが、ネズミは習性として親子一族の集団ごとに縄張りがあって、同じ穴はそうした一族だけが使っているのだ。だから、一族と一緒にマイキーは頻繁に彼女のアパートにもやってくるのである。
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さて、今日は木曜日。ジョセフィーヌは夜10時半を過ぎたころ、部屋を暗くした。11時少し前、隣の部屋のドアが閉まる音がした。彼女は忍足でキッチンのシンクと冷蔵庫の隙間の壁の穴に前に立った。スパイスのカゴをゆっくり移動させ、キッチンカウンターの上に上半身を寝かせて穴を覗き込んだ。あの二人がソファに座ったところだった。今日も赤ワインのグラスを手にして、楽しそうに話が始まった。
ジェセフィーヌは聞き耳を立てる。 「スコット、今日も変なことがあったのよ。チーズケーキを持ってドアの前に立つと、チヨは一人のはずなのに誰かと話す声がするの。ノックしたら声はスーッと消えて、彼女はいつもように笑顔で出てきたから、『声がしたけど誰かいるの?』と聞いたら、『あら、やだ、あなたの空耳でしょ。』だって。」
「老人になると独り言が多くなるっていうから、独り言じゃないかな。」 リサの話にスコットは関心なさそうに答えた。スコットは、リサがいつもチヨのことを気にかけているのを知っていたが、彼にとっては面白い話ではないのだ。スコットの反応にリサはムッとしたが、彼に話しても無駄だと悟ってワインをぐいっと飲み干した。
スコットは同じ建物の5階の屋上付きの大きなアパートに一人で住んでいた。そろそろ50歳になるが若く見えた。3年前に伴侶を病気でなくして悲しみから鬱になっていたが、やっとこの1年くらいは積極的にデートもするようになっていた。しかし、リサとはデートではなく、木曜夜の観劇の仲間といった関係だった。劇だけでなく、ブロードウェイミュージカルや映画、コンサートに行くこともある。時にはリサの友人らが参加することもある。
ただ、最近は観劇後、二人はリサのアパートでワイン片手に観たものについておしゃべりするのが習慣になった。スコットは、気立ての良いリサが好きだった。タイミングをみて週末にデートに誘ってみたいと密かに思っていた。一方、リサは二人の友情をそのまま続けたかった。スコットの亡くした伴侶だったウェンディーのことをよく知っていたため、今でもスコットを妻帯者としてみてしまうのだ。
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チヨの住むアパートビルの2階フロアには4つのアパートがあり、「コ」の字型に並んでいる。 チヨは2ベットルームA号室、その隣りのリサのアパートB号室は1ベットルームだ。隣接するAとBは、「コ」の字の上の横線の部分にあたる。
ジョセフィーヌのアパートは2C号室だ。リサのB号室とジョセフィーヌのC号室とも隣接しており、BとCは「コ」の縦線上に並ぶ。ジェセフィーヌがキッチンの穴からスパイをするのは、壁と隔てたリサのリビングルームだった。
A号室とB号室の両方とも通りに面して南向きに窓がある。南向きなので、チヨの鉢植えの花やハーブはサンサンと日を浴びて成長が早い。毎年、初夏になる頃、彼女は紫や白、濃いピンクの朝顔を咲かせた。朝顔は横浜の少女時代から好きな花だった。
「コ」の下の横線上のように、1ベットルームのC号室と2ベッドルームのD号室が並ぶ。CとDのアパートは北向きで、建物の裏側になる。CとDは建物裏の5階建てのビルに面しているが、それぞれの建物の一階アパートに小さな裏庭が付いており、建物間は17メートル程度離れている。そして、裏庭にはオークやハナミズキが3メートル近くまで伸びており、春になるとCとDのアパートの窓からはハナミズキの花の白とオークの葉の緑が鮮やかな風景が広がる。
To be continued… 第4話へ