行進せよ
ニューヨークは人種のるつぼ、数あるパレードも多種多様なものが存在し、ニューヨーカーを盛り立てる。2月にはシンボルカラーの緑が眩しいアイルランド人のお祭り「聖パトリックデー・パレード」、6月は性の壁を超えて同性愛者やサポーターが一挙に集結する「プライドパレード」、11月になると有名キャラの巨大風船が宙に浮かぶ百貨店、メイシーズ(Macy’s)による「感謝祭パレード」、他にもプエルトリコ、マーメイド、イースターなど、テーマ別のパレードがたくさん開催される。しかし、残念ながら日本をテーマにするパレードはここにはなく、昨年は「ジャパン・デー・パレード」という企画が発案されたものの、結局コロナで中止になった。
しかし、そもそもパレードする理由はなんだろう。連帯意識や高め、お祭りの高揚感を楽しみ、行進する前向きな積極性を促進する。パレードの後のゴミの山には閉口するものの、やはりパレードの意義は大いにあるだろう。例え1万人の人が同時に歩いてもパレードにはならない。1つのテーマに基づき、同一の目的意識を持って、一定方向へ向かって行進することが大切なのだ。その為に同じ国民性(カラー)で統一したり、同じコンセプト(例えばハロウィンのように仮装する)を用いたり、同じ主義(LGBTなど)を貫く生き方、生き様を見せ合う。
ちなみに名古屋市出身である筆者は愛知県つながりで、2016年には名古屋のおもてなし武将隊とニューヨークのハロウィーン・パレード、また2019年にはオハイオ州シンシナティで開催された「ブリンク・フェスティバル」で名古屋のチンドン屋「べんてんや 」と一緒にパレードしたことがあるが、人、人、人、人の嵐とその熱気に圧倒された記憶がある。
蟻の行進のように、群れをなす羊たちのように、虫も動物たちも、人間同様にパレードをする。世界に目を向ければ、人間一人の存在など、本当にちっぽけなものだ。1つの点でしかない。しかし、その1つの点が2つ、3つと数を増やしていけば、点と点は線となり、線と線が交差し、いずれ大きな形を作っていく。その形態はアメーバのように変幻自在に変化し、進化し、色を変え、大きな社会を作る。パレードは社会のようなもので、一人一人の個人が意識を持って参加することで、生命力を与え、より良い社会づくりの為の改革をもたらす力をも秘めていると。だから僕たちは前を見て胸を張って歩き続けるのだ。そう、決して止まることなく。皆の者、いざ行進せよ!
文:河野洋
2021年7月26日
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。