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マンハッタンから人影が消える日

今回のテーマ:アメリカン・ホリデー

by らうす・こんぶ

アメリカでは10月末から年末にかけて、ハロウィーン、サンクスギビング、クリスマスと、ホリデーイベントが目白押し。ハロウィーンが近づくと、「最近、カボチャが店頭に並び始めたなあ」と街の景色がカボチャ色に変わるのを楽しんだ。

フードコープ(いわゆる生協)の会員でレジ係を担当していた時は、シフトがサンクスギビングにぶち当たると、買い物客がこぞって3キロとか5キロとかあるようなターキーを買うので、バーコードをスキャンするために首のない七面鳥を何度も何度も持ち上げなくてはならず、二の腕が筋肉痛になった。

クリスマスになると、観光客で賑わうタイムズスクエア周辺をのぞいて、いつもは賑やかなマンハッタンから人影が消える。そんなマンハッタンを体験できるのは1年でこの日だけ。まるで満潮時には見えなかった難破船が干潮時に姿を表すように、クリスマスだけは眠らない街マンハッタンが日頃見せない緊張感のない姿を見せる。それを見たくて、マンハッタンをあちこち歩き回ることもあった。

この日、静まりかえったマンハッタンにあって、「クリスマス、何それ?知らんがな」とでもいうように、いつもと同じ賑わいを見せるのはチャイナタウン。チャイナタウンに隣接する界隈に住んでいた人が、「クリスマスにひとりで寂しくなったらチャイナタウンに来るといいよ」と言っていたが、本当にこの街だけは全くマイペースで、雑踏の中に入り込むとクリスマスだったことなんか忘れてしまう。

ニューヨークに住むようになって2、3年はサンクスギビングやクリスマスに友達のパーティーに招待されるのがとても嬉しかった。日本にはサンクスギビングなんてないし、日本のクリスマスは子供とカップルのもので、家族で過ごすアメリカのクリスマスとは違う。日本ではできない体験ができるのが楽しかった。でも、アメリカのサンクスギビングやクリスマスも何度か経験し、どんなものかわかればもう十分だった。

パーティーには行かなくなり、クリスマスをひとりで過ごすようになったある年のクリスマスイブ。人気の少ないマンハッタンを歩き回って少し疲れたのでどこかで休みたいと思ったが、レストランもカフェもほとんど閉まっていた。たまたま通りかかったイーストビレッジのバーが開いていたので立ち寄ると、女性のバーデンダーと2、3人の常連客らしい男性だけで、いつもは混む盛り場のバーもさすがに寂しげ。クリスマスに行き場のない孤独なニューヨーカーのために開けています。チャリティーです、とでもいうような。。。

カウンターに座ってビールをオーダーすると、その女性バーテンダーが言った。「今日はクリスマスイブよ。こんなとこに来てちゃダメよ〜。」面倒くさいので、「私は仏教徒だからクリスマスは関係ないの」と答えておいた。嘘だけど。

ニューヨークにはユダヤ人がとても多い。彼らは敬虔なユダヤ教徒ならずとも、「ユダヤ人の伝統だからハヌカ(12月にあるユダヤ教の祝日)は祝うけど、クリスマスは特に何もしない」という。仏教徒もイスラム教徒もたくさん住んでいる。でも、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーに象徴される華やかなイルミネーションは、この街の人種や宗教の多様性をすっかり覆い隠してしまう。アメリカはやっぱりキリスト教徒の国なんだなあと思う。

いつもはニューヨークで人種の多様性の一部を構成している自分、という認識で生活していたが、サンクスギビングとクリスマスがやってくると、この習慣に染まりきれなかった私はやっぱりエイリアンだったんだなと思うのだった。

そして、帰国し、子供とカップルが主役のなんちゃってクリスマスの雰囲気に浸ったり、お盆前に実家のお墓で草むしりをしたり、お正月に掃き清められた神社の境内を歩いたりする時、ニューヨークで怒涛の体験シーズンを終えて、魂の落ち着く場所に戻ってきたんだなあという優しい実感が静かに湧いてくるのを感じる。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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