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慣習で変わる違和感
上の写真:ハワイ島の温泉池
今回のテーマ:日本にあってアメリカにないもの
by 阿部良光
「駅のアナウンスと音楽」「TV番組での手書きパネル」「デパ地下試食」「食堂のウィンドウ蝋サンプル」「交番」「ディベート教育」、、、などがさっと脳裏に浮かんだが、何と言っても個人的に外せないのは「温泉」だろう。
スケジュール的に忙しすぎて行かず終いの時もあるが、温泉に入りたいがために帰国したこともある。叶えられない時は近くのスーパー銭湯で我慢ということになるが、それでも思いは少々満たされる。 温泉場で鮮明に思い出されるのが卓球台。湯上がりに浴衣を着て、適度のほろ酔いモードで同僚連中とおふざけゲームをした。温泉宿に何故卓球台があるのか不思議だったが、日本の昭和では当たり前の社員旅行での親交を促す設備としては、昔人のグッドアイディアと思う。 そして温泉旅館の下駄を突っ掛けて、渓流に沿って景観を眺めながらの食後の散策。こんな行楽は、もう今の若い人たちにはわからない様相なのでしょうか。 つまり我々にとっての温泉は、青春真っ只中だった”昭和”に思いを馳せる、の懐古趣味にすぎないのかも知れない。特に外国に住む身にあっては!
NYにもアップステートのサラトガスプリングスのように、温泉地はあるにはあるが、あの風情豊かな日本のような温泉施設がなく、しかも水着を着て入る温泉だったりする。これでは温水プールとさして違わないと言ってしまいそうだが、もちろんアメリカの風習としてそうならざるを得ない。 2月に行ったハワイ島のジャングルのような奥地に存在する温泉は、近年の火山の溶岩によって道路などの位置も変えられ、湧き上がる温水が堰き止められてできたという。海辺に沿って温度差がある三箇所の温泉池が出来上がり、住民のみで観光客などほとんどいない、知る人ぞ知るのロケーションだった。
確かテキサス州(だったと思う)の、普通に流れる川の岸辺が温泉化しているのをニュースで知った。しかしこれらは日本人に合う摂氏40度くらいではなく、温水プールのように緩いのが普通だ。
次は違和感。駅や地下街のアナウンス。これはいつも思うが、少しばかりやり過ぎではないのかと。「あと1分で到着します」などのアナウンスは不要とも思うが、慣れている日本人はそれが普通なのでしょう。それと(これはJRだけだったか)発車時にかかる、それぞれの駅での音楽やチャイムは、どうも耳障りで仕方ない。あれは何故だろう。
今でこそIT技術で改善されつつあるが、90年代までは何のアナウンスもなく、あっても何を言ってるのかわからない雑音のようなスピーカーで、10分くらい待たされるのは普通だったNYの地下鉄に慣れてしまい、麻痺してしまったのだろうか。だから日本のような案内には、もう少し感謝すべきだろうか!?
ついでにもう一つの違和感。「TV番組の手書きパネル」を使うのは、視聴者に親近感を得ようとしているのだろうか。そして朝夕のニュース番組などでも、パネルからベリベリと剥がして解説するあのやり方は、雁首並べて雛飾りのようなゲスト?とともに気になる。 最後に、多くの局の天気予報で、今日はお洗濯に最適です、今日は折りたたみ式傘を持参するといいでしょう、上着持参がいいなどのお節介アナウンス。
アメリカ人の友人はこれは幼稚園番組?そして日本人は服を着たり、洗濯するのも、他人の意見で決めるの?と聞いてきた。だからイエスと言ってしまった💦
[プロフィール] 1980年10月自主留学で渡米。しょうがなくNYに住み着いた、”汲々自適”のほぼリタイアライフ。