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バレンタインデーの裏方たち

今回のテーマ:バレンタインデー

by  らうす・こんぶ

私のニューヨークの冬の思い出には輝かしいものがない。が、後になって体験として語るには面白いということならたくさんあった。そのひとつがレストランで体験した悲喜こもごも。

ニューヨークに引っ越してからは日本の雑誌などに記事を書いて生計を立てていた。日本で得たお金をアメリカでドルで引き出して生活していたが、2年目の冬に急に円安になって1ドル130円くらいになってしまった。それまでは1ドル100〜110円くらいだったと思う。つまり当初日本円でひと月10万円くらいのつもりで借りたアパートの家賃は13万円に、家賃も入れてひと月30万円くらいあれば十分だろうと見積もっていた生活費は40万円になってしまった計算になり、大ピンチ。

そこで、効率の悪い円ではなく、ドルで収入を得ることを考え始めた。と言ってもそれほど選択肢があるわけではない。本当はビザ申請の時に申告した仕事しかしてはいけないのだが、レストランのフロアスタッフの仕事は盲点になっていた。というか、あまり厳しく法律を適用するとレストランはすぐに人手不足になってしまってニューヨークの経済に少なからず影響が出るので、当局は大きな問題が起きない限り黙認していたのだろう。

というわけで、私も一時期日本食レストランでウエイトレスとして働いた。そういうところで働くのは学生ビザで来ている人が多かった。20代の若者たちはバレンタインデーやクリスマスはやっぱりボーイフレンドやガールフレンドと過ごしたいので、クリスマスやバレンタインデーになると、休みの争奪戦が静かに展開していた。とは言え、そういうときはどうしても先輩のフロアスタッフが有利で、優先的にクリスマスやバレンタインデーに休みを取ってしまうので、新米たちは渋々仕事に出てくるのだった。

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ある年のクリスマスイブは土曜日だった。そのレストランはミッドタウンにあって、ミッドタウンはオフィス街なので、週末はだただでさえお客さんが少ない。しかも、クリスマスは家族で過ごす日だから日本料理を食べに来る人はあまりいなくて、その日のディナータイムのお客さんはたった1組だった。お客さんが1組ではチップは高が知れている。恋人や友だちと過ごしたいのを、後ろ髪惹かれる思いで仕事に出てきたというのにチップは雀の涙。踏んだり蹴ったりの目に合わされて、フロアスタッフの控え室には怨念が充満していた。

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日本の感覚だと、バレンタインデーのディナーはフランス料理とかイタリア料理とか、というイメージだけれど、何故だか私が働いたミッドタウンとブルックリンの日本食レストランは、どちらもバレンタインデーは書き入れどきでカップルの予約で一杯になった。

この日は4人席のテーブルも全て2人席にレイアウトし直して、テーブルには小さい花瓶に入れた花を飾ったりキャンドルを灯したり、メニューもバレンタインデーの特別メニューで、デザートのアイスクリームはハートで型抜きするとか、まあいろいろ演出に工夫を凝らすのです。

で、夕方になるとお洒落をしたカップルでレストランは満席になり、フロアスタッフは忙しくテーブルの間を行き来することになる。レストランがフルハウスになればチップも増えるからありがたいのだが、バレンタインデーを返上して働いている若者はちょっと辛い。ラブラブなカップルを横目に見て、「俺、やな奴になりそう」とぼやいていたウエイターがいてたいそう同情した。

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アメリカではバレンタインデーは女性が男性にチョコレートをあげて愛の告白をする日というわけではなくて、男性が奥さんやガールフレンドに花束をプレゼントすることも多い。

バレンタインデーの夕方外を歩いていると、あちこちにぽつりぽつりと黄色い灯りがともる。それは家路を急ぐ男性が抱えた黄色のバラやチューリップの花束で、夕闇の中でそこだけが暖かなキャンドルの火のように明るく浮かび上がって見えた。奥さんやガールフレンドにプレゼントするのだろう。

2月のニューヨークはまだまだ寒いけれど、日は確実に長くなってきていて春の気配が感じられるようになる。夕闇に灯る明るい色の花束を見ると、春がそこまで来ているのが感じられてうきうきした。私にとってバレンタインデーは、ニューヨークの長い長い冬が終わりに近づいて、春がもうすぐ来るのを実感させてくれる日だった。


らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

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「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。




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