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永住か、帰化か。選択の行方

今回のテーマ:市民権/査証(ビザ)
by 福島 千里

2008年5月某日。
待ちに待った1枚のプラスチックカードが自宅の郵便受けに届いた。カードにはこう書かれている。

“Welcome to the United States of America.”

渡米11年目にして手にした米国永住権グリーンカード だった。留学生としてニューヨークに到着し、「なんとなく長居しそう」なんてぼやいているうちに就労ビザを取得。その後は決して平坦な道のりではなかったけれど、今の永住権にたどり着いた。

以来、周囲からは「いつ帰化するんだ?」などと聞かれることがしばしばある。米国永住権はあくまでアメリカ国内に永住できる権利(Permanent Residency)であり、査証(ビザ)の一種。アメリカ国籍を獲得する市民権シチズンシップ とは異なる。ただし、永住権グリーンカード 取得から何ごともなく5年経てば、永住者には米国民へ帰化する資格が与えられる。周りを見ると、さっさと帰化する人、10年毎の更新を繰り返し、永住権を頑なに維持し続ける人とそれぞれだ。日本人はあれこれ迷っているうちに更新を迎えてしまう人が多い印象だ。そして私自身もそのひとりだ。帰化すれば日本の国籍を手放すことになるし、老後の不安だってある。まぁ、他にも双方の国に関して色々と思うところがあって、答えをずっと先送りにしている。

しかし時はあっという間に過ぎ、永住権の最初の更新日が近づいてきた。永住のステイタスを維持するためには、米国移民局(USCIS)に手数料を支払い、指定の日時、会場に出向いて然るべき手続き(面接と生体認証のための指紋採取)をとらねばならない。

ふと、10年前の審査(永住権取得の最終段階でも生体認証、時に面接が必要になる)を思い出した。審査当日、あの日は朝からひどい雨が降っていた。時刻は8時前。会場の扉はまだ固く閉まったままだというのに、現地にはすでに100人近くの移民たちがクイーンズの高架下横の建物をぐるりと取り囲むように並んでいた。皆、雨に打たれながら黙ったまま俯き、会場の扉が開く瞬間を今か今かと待ち続けている。食料配給に並ぶ難民ってこんな感じなんだろうか。そんなことを思い浮かべながら、私もその列に並び、自分の番をひたすら待った。

そうだ。今度の面接もきっとあの長蛇の列に並ぶのだ。会場の大混雑を予想し、更新日当日はめちゃくちゃ早く会場に到着した。けれども、会場となったおみんきょくオフィスは思いのほかすっからかんだった。受付と思しきフロアには私以外の外国人は2名ほどしかいない。

もしや会場を間違えた!?

焦って入口付近でウロウロしていると、係員らしき男性が声をかけてきた。

「ビザ面接か?」

慌てて面接の予約書と米国永住権グリーンカード を提示すると、金属探知機と手荷物の検査をとっとと受けるよう促された。その流れで指紋採取もあっさり終わった。そこから少しは待たされるだろうと思いきや、数分とたたぬうちに面接室へ通された。

面接室に入ると、大柄な女性面接官がどん!と構えていた。時刻はまだ午前10時だというのに、すでに一日の終わりみたいなゆる~い雰囲気だ。

「名前は?国籍は?住所と職業は?」

機械的な質問が淡々と続く。

「はい、以上」

「え、これで終わり!?」

「新しいカード は数ヶ月ぐらいで届くと思うから。じゃ」と、顔も合わせぬまま退出を促された。

永住権の更新って、あっけないんだなぁ・・・などとぼんやり思いながら出口に向かって歩いて行くと、今朝ほど声をかけてくれた係員と目が合った。

「日本人だろ?」

唐突な質問に、「なんでそう思ったの?」と返す。

「更新に来る日本人、多いから」

そこでハッとした。理由は詳しくは聞かなかったが、おそらく他の外国人は永住権の更新などしない人の方が多いのではないのだろうか。移民は皆、それぞれの理由を抱えている。仕事や留学を機にこの国に暮らし、単純に「もっと長く住みたい」という理由で永住にいたる人もいれば、その一方では戦争や政治的理由で国を追われた人や、貧困から家族を救うために移住を決意したなど、もっと深刻な事情を持つ人も多い。

「次の更新どうしよう」なんて悩める自分は恵まれている。経済状況は芳しくないものの、今の日本には戦争や争いもなく、何より日本人である以上、帰りたいと思えば帰国できるという選択肢がある。けれども、祖国に戻れないような切羽詰まった事情を抱えている人には、きっと更新など生ぬるい選択肢はないのだ。思い起こせば、以前住んでいたアパートの管理人さんはチベットから亡命して永住権から市民権に行き着いた人だった。理由は祖国に残した家族のためだ。

永住権獲得までの道のりは決して楽なものではなかった。お金も時間もかかったし、諸々のストレスもゼロではなかった。同じように永住を望み、でも叶わなかった人たちもいた。一度きりの人生、日本を飛び出して自分が望む土地で暮らしてみたい。そんな自由が自分に与えられたことがどれほど贅沢なことか、以来、その重みをずっと噛み締めている。

6年後には2度目の更新日がやってくる。その時、私はどうするのか。今もまだ明確な答えは出ないままだ。


◆◆福島千里(ふくしま・ちさと)◆◆
1998年渡米。ライター&フォトグラファー。ニューヨーク州立大学写真科卒業後、「地球の歩き方ニューヨーク」など、ガイドブック各種で活動中。10年間のニューヨーク生活の後、都市とのほどよい距離感を求め燐州ニュージャージーへ。趣味は旅と料理と食べ歩き。園芸好きの夫と猫2匹暮らし




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