2024/11/02 「書道の日」

かすれた文字が紙に浮かぶ。かすれてるだけではない。歪んでいる。

「はぁ」

盛大なため息とともに半紙を丸める。
「こらっ。何やってんだ」
……モットヤル気をダセ。
後半の言葉は音と意味がずれて頭に入る。

やる気は出ない。筆はご機嫌斜めで墨を吸ってくれず、紙はご機嫌斜めに歪んでいる。そして私の手首もご機嫌斜めで過剰な力が入りすぎて太くなるか、かすれるかを繰り返してる。

また紙を丸めようとしてちらりと先生の方を見る。こちらを見てない様で、視線の端がまだここにある。半紙を折りたたんだ。

怒られて出てくるヤル気なんてありはしない。重たい気持ちが一層重くなり、頭痛までする。

「はぁ」

ため息しか出てこない。それでも、一枚は出さないといけない。かすれているけれど、形が崩れて無さそうなものを選ぶ。

準備も大変なら、片付けも大変だ。さらに道具は重い。こんな厄介な授業はない。筆も学校では洗えない。家までの30分の道をこの道具を持ち帰るのかと思うだけで、嫌になる。


「習字、やってみたい」
同居人が無邪気にそういうので、引っ張り出した習字道具は埃まみれだった。筆はさすがに無理で、硯と墨が使えるかと言ったところ。墨の寿命はどれくらいなのだろう。筆と半紙を買って、書いてみる。

同居人が何を書くのかと見ていたら、リンゴの絵だった。
「文字は?」
「え? これ、水墨画って言うものを描く道具じゃないの?」
私の問いに意外な答えが返ってくる。墨が黒い絵の具に見えていることに驚いてしまったけれど、これが正しいのかもしれない。

「そっか。うん。好きに描いていいよ」

私はあの授業で『絵』を描きたかったのかもしれないなと思った。

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