2024/09/21 「靴市の日」
「ああ。これ、靴かぁ」
客の声が店内に響き渡る。靴屋で靴以外のなにがあるんだと思いながら、そちらをみるとさらに続く。
「三万以下の靴って、靴だって思えないんだよね」
この場にいる客の大半を敵に回しそうなセリフを吐き、店員に「三万以上の靴を出せ」と要求している。どこのボンボンだと思ったが、そもそも金持ちがこんな靴屋に来るわけがない。しかも『三万』という微妙なラインも金持ちでもなさそうだ。
「あれ、同級生くんじゃん」
そいつがこちらを見てそう言った。高校のあだ名をこんなところで聞く羽目になるとは思わなかった。私は聞かなかったふりをして立ち去ろうとしたが、そいつはさっそうと立ち上がりさらに大声で「どうきゅうせいくーん」と呼ぶ。
「やめろ」
思わず近づいてそう囁くと、ニヤニヤと笑う。こいつのこういう所は嫌いだし関わりたくもない。
「いいじゃん。お前も靴を買いに来たのか? 三千円の?」
嫌味な奴だと思う。一歩引くと、肩を抱いて「何買うんだ? 俺が出そうか?」などと言ってくる。
「お前と一緒。店員を待ってるんだ。邪魔、しないでくれないか」
そこにちょうど店員が来た。持って来た革靴は頑丈で履き心地もいい。デザインも華美でなく、脇に入ったラインでうっすらと小鳥が描かれている。目立つものではなく、気が付く人が気が付くかもしれないという程度の物だ。
「これで、いいのですか?」
「サイズもピッタリだし、気に入った」
「あの。お値段の方ですが……特別なものなので少しお高くなりますが」
私は大丈夫と答えて、靴を店員に渡した。店員は丁寧に箱に戻していく。
「へぇ。高いのか。いくら?」
「お前に関係ないだろ」
私はそう告げてレジに言って支払いを済ませる。
店を出ようとしたところで「こんな店、二度とこねぇよ」という捨て台詞が聞こえた。そして、私の後ろをついてくる足音も。
「お前なぁ。高校生じゃないんだから、そういうのは卒業しなよ」
ため息とともに、言葉を吐き出す。余計な一言を言って、店を追い出されたというところか。
「だって、あの店、三万以上の靴なんてないって言うんだぜ。ありえないだろ」
「ありえないのは、お前だ。激安を謳っている店でそんなセリフが歓迎されると思ってるのか?」
そいつはぶつくさと言いながら、なぜか一緒に付いてくる。
駐車場の車まで付いてきて、「お。いいな。乗せてくれよ」なんて図々しいことまで言う。私はもう一度ため息をつく。
「だったら、その靴を買い替えてこい。そんな泥だらけの靴を乗せたくない」
彼の靴は何をしたらそうなるのか、泥だらけで、なんならズボンのすそにまで泥が飛び跳ねていた。雨でもないのにどうしてそうなるのか。ただ、乾いてはいるからこの辺りでつけたわけでもないだろう。
「え。別にいいじゃん」
「よくない。靴を替えろ。じゃなけりゃ、脱げ。袋に入れろ。ないなら、その服を脱いで靴を包め」
ウンザリとした気持ちで言葉を投げると、そいつは苛立った顔で「だったらいいよ」とどこかへ行ってしまった。
なぜ、あの店で大人しく靴を買わなかったのか。三万円なんて中途半端な値段設定だったのかは謎のままだ。
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