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謝って済む問題ではないというけど、謝らなかったら怒るよね

アルフォート。一気に食べるのがもったいなくて残していたひとつに夫が気づかず捨ててしまった。

楽しみにしていたから悲しかったけど、ひとこと「ごめん」と言ってくれたら気がおさまる程度のことでもあった。

でも夫は謝らなかった。

「ごめんを言ってしまうと100%捨てたオレが悪で、加害者側になってしまうのが嫌だ。そこに置いてた人にも落ち度はあるはずなのに。」

「確かにそれはそうやけど、捨てられた側は悲しい気持ちになってるんやから、ひとこと謝ってくれたらいいやん。それで解決するのに。」

というようなことでしばらく言い合いになった。

結局夫はごめんを言わず、わたしは言わない夫を理解することができず。
アルフォート事件は「これからは捨てる前に中身を確認する」が決まったところで幕を閉じた。

4〜5年前のこの出来事は、いまだに2人の会話によく上る。そしておととい、またこの話題になった。

話しているうちに、ごめんという言葉に対しての認識が夫とわたしで違うことに気がついた。

わたしは、故意でなくとも自分のした行動で少しでも相手が傷付いたのなら"ごめん"という言葉を使ってきた。

でも夫は、ごめんという言葉に意味を感じてないらしい。足が当たってしまったとか、明らかに100%こっちが悪いとき以外はあまり使わない、とのことだった。

ほとんどのことは「どちらかが100%悪い」ではなく、「30:30+40のすれ違い」で起きてる。
なのにどちらかが"ごめん"と言った瞬間それが100:0になって、加害者と被害者の構図になるのが納得いかないらしい。

アルフォート事件はわたしにも30くらい非があったのに、被害者になろうとしていたことに気が付く。「ひとこと謝ってほしい」と何度も言ってしまったことを、5年越しに反省した。

"自分だったら謝るのに"を基準にすると、相手が謝らない場合腹が立ってしまうから、謝る基準はそれぞれにあることを忘れたらだめだと思った。

それにしても、30悪いところがあったなら、やっぱり謝ってくれてもよかったんじゃないか?

アルフォート事件はこれからも続く。



タイトルはつぶやきシローさんのポストを引用しました。
つぶやきさんのXのファンです。


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