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invisible


僕は時間を見つけると、
近くの眼科へよく行く。

視力が結構悪いのだ。


これでも
中学2年生までは両目で1.0くらいの視力はあり、
小学校の視力検査では
一番上に印字されている視力0.1の「C」の形を見ては、
「あんなドーナツみたいな大きいやつを
見れない人なんているのかな」
というように思っていたけれど、
大学生くらいの頃には
その”見ることができない人”に
自分が成り下がってしまうのである。

中学3年生の夕暮れには軟式野球の部活で
もはや打球の行方がよくわからなくなり、
当時はヤクルトスワローズの野村克也監督の下で
ID野球の申し子として眼鏡をかけた古田敦也が
読売巨人軍の前に再三立ちはだかって活躍していたが、
僕個人は「眼鏡をかけてまで野球をしたくはないな」
という体たらくぶりもあって、
中3の夏には部活をやめてしまったのである。
(中高一貫教育だったので高校で続けることはできたのだが)

高校生の頃はしばらく眼鏡で、
だけれど鼻元と耳に何かが乗っかているのが嫌で
あまり格好がよくないのもあって、
高3年の時に初めて
コンタクトレンズを装着してみた時は
「おお、何年も忘れていた視界を思い出したぞ」
というように一時の興奮を覚えたことも。


大学生以降
コンタクトと眼鏡を併用して現在に至るが、
成長期を過ぎても視力の低下は止まらず、
いまはかなり見えない。

家の中で
眼鏡を外してぼうっとしていると、
視界もそのままにぼんやりとなり
眠気が出てきてしまう。

先日に眼科に行った時は
「コンタクトの状態だと遠くは見えますが、
手元にある小さな6と8の判別がしにくいんです」
と伝えて早くも老眼の検査を踏まえた上で、
コンタクトレンズの度数をちょっと調整してもらった。


街の人気は確かに薄らいでいるが、
ゾフやジンズといった眼鏡売り場はわりと混んでいる。

スマートフォン、パソコンをながめる時間が増えて
目が確実に疲弊しているようだ。

ブルーライトもウイルスもそうだけれど、
人間は目に見えないものを軽視する傾向がある。

目に見えない領域のものに蓋をして
視野を限定することで、
ある意味で自己を防衛しているのかもしれない。

ただおそらく
そうしたものをないがしろにすると、
その分のしっぺい返しが来ると思われるが。



invisible とかいうタイトルを付けておいて
目に見えない領域のものがどうのこうのとか
言っちゃっている人間が、
視力が低下することを過度に恐れつつ
パソコンに向かってタイピングしていることに
自家撞着の念を覚えるのはさておき、、、

昨日は早くも
春一番が吹いたそうな。

今日、明日も
それ相応の風が吹くといいけれど。







以上

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