日記10日目
午前0時。たった2時間だけのアルバイトを終えて、ビルの鍵をしめる。真向かいの通りは、深夜にもかかわらず車が行き交っている。通り沿いに立ち並んだ照葉木の周辺を、コウモリの番がやかましく騒ぎたてながら迂回している。先月、コウモリから照葉木の実の空爆を御見舞させられてからというもの、夜中にこの通りを歩くときは常に頭上を警戒しながら、おずおずと早足になる。常に意識をやつらに向けながらなんとか警戒ゾーンを抜けだすと、安心して少しだけ足を緩める。通りの向こう側では、コンビニが白い光を煌々と発しながらずっしりと建って、発光する大きな箱のようだ。
コンビニは夜行性だ。もちろん、コンビニは24時間営業しているわけなのだから、朝も昼も変わらず営業している。ただ、真夜中にみるその発光する大きな箱は、蛾や羽虫達の集合場所になり、眠れない若者達のたまり場になり、こんな時間にほっつき歩く僕の、真夜中特有の孤独感を柔らかく包んでくれる場所になる。夜の街を彩る大切な箱なのだ。
真夜中のコンビニ。みんなを包んでくれる大きな箱。
僕はどうだろうか。誰かを包むような、誰のためになるような、そんな生き方ができているのだろうか。いや、全くできていない。
アルバイトをしているといっても、建物の管理人だ。利用者の入館時間と退館時間を管理して、ごみ箱が溜まっていれば替えるくらいしかやることがない、いわゆる「小学生でもできるお仕事」だ。たった一人で、じっと座っているだけなのだ。やりがいなど感じられるはずもない。ただ毎日を汚れた川に流すような気持ちで生きている。最近なにかの役にたったことといえば、コウモリの空爆の標的になってやったことくらいか。なんだか落ちこんでくる。
そうして今日もまた、真夜中のコンビニに救いを求める。コンビニが発端の僕のナイーブを、コンビニで癒やしてもらうなんて、おかしな話だ。