優しい嗜好品
急に何もかもが嫌になる時がある。
そういう時は小型犬の鳴き声がとても怖く感じるし、少し強めの風に悪意を感じるし、集団で居酒屋に向かう若者のグループなんかにかんしては、もうみんな死んじゃえと意識だけで睨んでしまう程最悪だった。僕はただ一人で煙草を吸いながら缶チューハイをじゅるじゅる啜って、誰にも迷惑をかけずに絶望やら焦燥やらを背負っていたいだけなのに、誰の邪魔にもならないように時間の波に漂っていたいだけなのに、こんなにも優しい僕がなぜ、こんなにも迷惑で卑しい動物やら自然やらに蹂躙されなければいけないのだろう。誰に許可をもらってずけずけと、まるで自分の敷地内かのような顔で、僕の心や思考に入り込んでくるのだろう。
でも他人からすれば、どこの誰だかもわからない僕だけれど、僕みたいな考え方や生き方、あるいは僕の存在自体が嫌悪の対象になっているかもしれない訳で、ちゃちなアルバイトで日々を繋いでるやつが酒や煙草なんて嗜好品なんぞ嗜みやがってと、突然木の棒で頭をかち割られる可能性だって十分に考えられる。
誰の迷惑にもならないように生きていこうとするのは無理なのは分かっていて、それでもなるべくひっそりと生きていこうとしていて、でもそれが全く優しさとはかけ離れている様に思えて、優しくなりたいと思う事がとても傲慢な気さえして、寄る辺もない気持ちはとても苦い。
その苦さに酒や煙草の苦さが勝てる訳がなく、分かっていてもまた一本、また一本と、希望とも懇願ともとれるような気持ちで、脳みそからは遠い胃袋に流し込んでいく。