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死を意識するということ

 人生100年時代と言われてますが、そこにはどう生きるか、健康でいられるかどうかは問われていません。たとえば、コロナの恐怖から過剰なまでの外出自粛の要請があったように思います。左派系の選挙ポスターでは、「何より命!」「個人事業主さんには手厚い補償を!」といったフレーズが目につきますが、私は心で思うのは「ただ生きていればいいのですか」「生きるということは多少のリスクをとることですよ」です。もちろん今回のコロナ騒動が杞憂であったとは思えませんが、万全を期すが故に、経済的な損失はそれ以上に計り知れなかったのです。

 私は、今年いっぱいで勤続25年の会社を辞めることにし、ほぼ一ヶ月有給を消化しています。会社に所属していると、人生100年は慰めになります。60歳で退職しても残り40年もあると思えるからです。ところが、案の定ですがまだ席を置いているとはいえ無所属の心理的負担はジワジワと来るものですね。これは大人が子供に「外に出るな!、交通事故に遭うかもしれないだろ、通り魔に襲われるかもしれないぞ」という言いつけを破って外出したことへの不安に喩えられます。

 でも、死を自身のそばに置くことはより生を輝かせるものですね。25年も安住しておいて何を今更と言われそうですが、これから25年が私の寿命だと設定することは意義のある人生を遅れそうな気がします。というのも、ある書店で目につき購入した本に[ DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)]があります。立ち読みしただけの要約ですと

 「どんだけ働いて稼ごうと決して不安は拭えないよ、それより具体的に寿命を決めそれに必要な生活費が獲得できれば、いわゆる会社員はやめて自分の好きなことにそれを使い切ることがかけがえのない人生というのだよ。」

 ということです。50代半ばですが、暗に退職することを母親にいうとなぜか心配そうな顔しますね。「男は仕事しないといけない、遊びほど人をダメにするものは無い」といいますが、そこは時代の変化ですから何をいっても堂々巡りなのです。人生100年、死ぬまで現役というのは聞こえはよいのですが死を遠ざけています、そして生を。多少の不安はありますが25年の生を買うだけのお金は蓄えられました 

ちなみに、この本の作者がいう「使い切るための資金」というのは

1年間の生活費) ╳ (あなたが決めた生きる年数) ╳ 0.7

という式が目安です。0.7という数字は資金を切り崩しながらも残高にも利率がつくということで、実際の生存年数ほどのお金は必要ないよというのです。

 以前は、人生を逆算するというのは嫌いでした。ゴールを決めない生き方の方がいい、むしろ実現不可能な目標を持つことはその過程を手段とする逃避とさえ思っていました。でも、死を身近に置くということは、瞬間と瞬間の積み重ね。結末はどんなものになるかわかりませんが悔いは残したくないですね。


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