【自動書記】フリーライティング

フリーライティングを甘くみてた。正直むずい。何がむずいか。それは、書くことの葛藤を直視し続けなければいけないのがむずい。いや、正確にはキツイ。私は書けない。書くことがない。そんなのは当たり前のことだけど。いや正確には違う。書くことには3段階ある。これは、人が何かをするときには大体そうだと思うが。それは書き始めること。書き続けること。書き終えることだ。書き始めるときのハードルは、めんどくささとか、書くことに対する不安とかそこら辺になる。書き続けることのハードルは、自分がどこに向かっているのか。何か違う。そうじゃない。自分が言いたいことは。そういう内なる声と向き合い続けるハードルがある。そして書き終えること。それは、作品として完成させるハードルだ。常に、まだできる。もっといい表現があると、諦めきれずに終われない。そんなハードルがある。正直、この3段階では、書くことに対する理解としてはまだ足りないのかも知れない。もっと広く書くこと全体に言えることもあるかも知れない。多かれ少なかれ人は即興でものを書く。これはシュルレアリスムが示したことだ。わざわざシュルレアリスムを出すまでもない。あらかじめ書くことが完璧に決まっているなら、書く必要なんてないんじゃないか。正直、書くことに悩んでいるわけだが、今までだと抽象的すぎるというか。デカルト的に分割して考えられないかと思っていた。分けることは理解すること。みたいなことを誰かが言っていた。それの受け売りだ。自分の言葉で書きたい。それは、そうそう!それが言いたかったんだよ。というような感覚に自分で辿り着きたいのだ。基本的に、誰かの言葉を聞いて、私はこの感覚に陥る。それが言いたかった。フリーライティングは、書くことのハードルを下げる?まぁ最初の頃は、割と楽かも知れない。今までとは違った書き方。考え方。編集と執筆を分離する。自己検閲しながら書かない。しかし、やってみると何か難しい。書かないと書けない。当たり前の事だ。書かないとは事実。書けないとは心情だ。私は以前、書かないから書けない、という体験が必要だと言った。いや言ってない。書かない、書いていないという事実から、書けないという心情への移行。書けないに辿り着くには、書く必要がある。何かこれじゃない。言いたいのは。それが書けない。心情。しかし、それは書いた者にしか到達できない地点だ。そして、それから何かが始まる気がする。始まって欲しい。おそらく今言ったことは、読書猿さんの劣化版コピーだろう。あるいはパクリだ。明らかに意識している。自分の言葉ではない。いや?わからない。しかし、思考の整理。そういうものだ。

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