国会図書館で検索できた「セガのファミコン」




いちおうの書き出し

 かつて世間では「セガのファミコン」という言い回しが存在しました。
ファミコンことファミリーコンピュータがあまりにヒットしすぎて、ゲーム機の代名詞として印象付けられ、任天堂ではない他のメーカーのゲーム機もそう呼ばれてしまったり、あえて呼んでしまったりする言い回しです。

発売当初は5万台程度の販売台数を見込んでいたが、社長自ら「セガのファミコン」と称して販売した[注 4]というエピソードが語られるほどファミコンの影響は大きく、ファミコンの普及に引っ張られる形で日本国内だけでも初年度で16万台を販売した[12]

項目名: SG-1000
更新日時: 2020年6月9日 07:39 (UTC)
版指定URI: https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=SG-1000&oldid=77935478
項目の版番号: 77935478

(このwikipedia記事のとこでもあるように、「ファミコン」がファミリーコンピュータの略であるなら、ゲーム機を指して家庭向けコンピュータとしてのファミリーコンピュータに当たるだろう、としてあながち間違いじゃないって解釈もありますけどね)

 しかし、これにしても「エピソードが語られる」とあるように、口伝レベルでの話ではあるんですよね。
実際にそういう言い回しをされたという思い出話も無くはないんでしょうけど、それもやっぱり口伝であり、何かの記述に基づくものではない。
正しい言い方ではなく、雑な認識による言い回しではあるので、そういうものではありますが。

 それでも「全く存在しない」というわけではなく、わずかにでもそういう認識の上で書かれた文献資料等が国会図書館で、というかNDLデジタルコレクションで検索できました。ありました。

とにかく、その「セガのファミコン」で引っかかった資料の詳細についてのことです、これは。

NDLデジタルコレクションで検索

 国会図書館(NDL)デジタルコレクション、国会図書館に納本されている資料等をデジタル化し、パソコンなどの電子端末で閲覧できるようにしてあるサービスです。

 このデジコレ自体については置いとくとして、とにかくこのサービスを活用することで古い事柄を探しやすくなっています。

 そして実際「セガのファミコン」で検索するとこんな感じの結果です、これ書かれた現在では。

 NDLデジコレの検索結果に出てくる資料には、NDLの登録情報でログインせずに見られるもの(著作権などに問題のないもの)、個人向けデジタル化資料送信サービスによりログインして見られるもの(自宅やスマホなどからも閲覧可能)、国会図書館内の端末でしか見られないものの三種類があります。
この「セガのファミコン」で出た結果の資料は三つとも「国会図書館内限定」資料であり、このままただ検索しても見られないわけです。閲覧不可。

 だからまあ、いくとこいって複写閲覧してきたわけです。ええ。
それらを引用したりして中身についてあれこれかいときます。


「セガのファミコン」が書かれた資料


朝日ジャーナル 1991・11・15

https://dl.ndl.go.jp/pid/1812013/1/43

 検索結果でもある『激闘!任天堂vsセガのファミコンウォーズ』ってのは、週刊朝日の広告でした。
文字だけの週刊朝日の見出し。
こればかりは読んでわかるように企業間についての記事の煽りでしかないと。
週刊朝日そのものは確認してませんが、いちおうそういうあれでしたと。


月刊家族 第84号 1993年2月1日発行

https://dl.ndl.go.jp/pid/11048846/1/

 広島の家族社から発行されていたミニコミ、らしい
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000138536&page=ref_view
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=32031
https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/8

それの第84号での『座談会・ファミコン時代を生きる 子どもたち―親からみれば…』に書かれていたのが検索でひっかかったところ
親御さんからの目から見た子どもに対してのゲームの買い与えについての話のアレで、その最初の方にコレ

北面 ずっとねだられてたけど買ってやらなかったんです。ところがおととしの冬アメリカに住んでる夫の両親のところへ行ったとき、セガのファミコンをクリスマスプレゼントされましてね。私は内心複雑な思いでしたけど、幸いアメリカのソフトは日本で買えないことがあとでわかってホッとしていたら、今度は私の母がゲームボーイを娘たちにプレゼント。というわけで不本意ながら置いております。

家族社『月刊家族』((83-94)),ウィメンズアクションネットワーク. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11048846 (参照 2024-10-13)
月刊家族 第84号 1993年2月1日発行 2頁

 この日本では買えない(互換性が無い)ってことで、これジェネシス(海外のメガドライブ)のことなんでしょうね。年代的にも。


文芸春秋 1994-11

 検索でひっかかったのは『最新東洋事情 第四回 規制大国シンガポールの幸福 / 深田祐介』のところ
作家深田祐介氏によるシンガポールについての連載記事
それのコメントのとこがそう

「うちは一九七九年にシンガポールに進出、本社も移し、現在はバタム島で、エクソンの下請けとしてフロッピー・ディスク、松下のワープロ用モーター、セガのファミコンのアッセンブリーなどを引き受けて、生産しています」(GIKEN SAKATA取締役財務部長、横田栄樹氏)

『文芸春秋』72(14),文芸春秋,1994-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3198617 (参照 2024-10-13)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3198617/1/138

 アセンブリとかその辺の話になると流石によくわからないので、引っ張るだけ引っ張っておく。


アジア人と日本人 : マハティールマレーシア首相との対話 1994.11

 また、Googleブックスでも検索したら一つそれらしいのが見つかりました。

 で、これも検索したらデジコレに資料としてありました。

大前研一 著『アジア人と日本人 : マハティールマレーシア首相との対話』,小学館,1994.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13110545 (参照 2024-10-13)

 しかし、一◯第の若者の間では奇妙な減少が起こっています。任天堂が「スーパー・マリオ・ブラザーズ」を発売したのは、わずか一◯年前でした。この驚くべき企業は現在、売上高が六五億ドルで、日本には任天堂(およびセガ)のファミコンなどゲーム機が三◯◯◯万台あります。子供たちは一般に一日二、三時間ずつ、数年間にわたってファミコンゲームをやります。そのせいで、彼らはテレビ画面と対話することが得意になっています。これは驚くべきことです。まるでパイロットのフライト・シミュレーターのように、彼らは画面に映像や言葉が出た瞬間に反応することができるのです。すばらしい種族の誕生です。

大前研一 著『アジア人と日本人 : マハティールマレーシア首相との対話』,小学館,1994.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13110545 (参照 2024-10-13)
P.180-181

  つまりは、いわゆるコンピュータエイジ的なそういう話についてで任天堂と共に名前引き合いに出されてたわけですね。
この辺の記述も今から見て考えると面白いかもしれませんけど、それは置いておく。



今のNDLデジコレでは「SG-1000を指して「セガのファミコン」と呼称するもの」は無かった、というオチ


 ゲーム系の雑誌やムック、ゲーマー・元ゲーマーなどのネットでの発言などを探せばそりゃあるにはあるでしょうけど、別にオーラルヒストリーをかき集めてまでやるほどのことでもないし、そう言われていた事を否定するわけでもないのですけど、とりあえず今現在その手のとこで検索した結果とその記述だけを書いた、というだけのものです、ええ。


 いつかデジコレで検索できる資料、デジコレに限らず何かしらの検索できる方法が増えたりしたら、また何か発掘できるかもしれませんね、みたいなもんです。



どっとはらい


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