柳澤健「1964年のジャイアント馬場」

週刊大衆2013年6月17日号から2014年9月22日に連載されたものに加筆訂正。連載時に疑問を感じた馬場自伝とブルーノ・サンマルチノのインタビューの相違点について単行本で解決はなされたのでしょうか。

ジャイアント馬場の主としてアメリカでの活躍に焦点をあてたものです。
このへんは力道山や猪木のアメリカでの扱いがじつはしょぼかったことがばれてしまうので、どうも長いあいだプロレス雑誌・プロレス新聞ではタブーだったようです。
プロレスがショーであり、形式的な勝敗ではなくパフォーマンスと観客のヒート(熱狂・興奮)をきそうものだということが常識になった平成20年代だからこそできた企画でしょう。
 よく売れているようです。購入したものではすでに2刷となっていました。

 連載時に疑問を感じた馬場自伝とブルーノ・サンマルチノのインタビューの相違点について単行本で解決はなされたのでしょうか。馬場はサンマルチノとの友情は1961年から、といい、サンマルチノは1967年から、といっているのです。この矛盾は解決されたのでしょうか。

 実は解決されていません。インタビューもそのまま、馬場自伝からの引用部分もそのままになっています。

連載時のキャッチコピーが帯のもアマゾンのコピーにももちいられています。

かつてアメリカに、イチローよりマツイより有名なアスリートがいた。
その名はショーヘイ・ババ。
巨人軍に入団するほどの高い身体能力を持っていた馬場は、プロレスの本場・アメリカでその才能を大きく開花させる。
そして1964年2月、NWA、WWWF、WWAの世界三大タイトルに連続挑戦という快挙を成し遂げる。
巨体にコンプレックスを抱き続けた男が、自らの力でそれを乗り越える。
マットの上で人生を戦い抜いた男の旋風ノンフィクション! 

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