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エピソードゼロ:どうして「とかいところ」なのか
(ブログ「とかいところから」https://tokaitoko.com/what-is-tokaitokoro/ より、一部改訂済)
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これが、我が家の風景です。
山の中の、古いお蔵に住んでいます。
我が家が暮らすのは、東北地方の山間部。
山形県は朝日町というところで、自然豊かな良い場所なのですが、全国的にも早くから住民の減少に向き合ってきた過疎地でもあります。
この町での暮らしを私は「とかい」、方言で「遠い」という言葉に託して表現しています。
山の暮らし、田舎の暮らしは色々な表し方ができると思いますが、「とかい」はどこからやってきたのか。
私がまだ朝日町に越してきて、一年足らずの頃に遡ります。
きっかけは、同じ町のばあちゃん達から言われた言葉でした。
どこの地区の人? と言われたので、
○○です! と言ったらば、いっせいに
「なんだてまあー、とかいところからー!」 ・・・
…おかしいな。
一応、おなじ町の住民のはずなのですが…(苦笑)
まるで「奥地!」とか「別の国!」から人が来た、みたいな反応だったので、今でも忘れられません。
我が家は、町の中心部から山岳の方に分け入って、車で15~20分。
スーパー、コンビニ、役場、病院、図書館。
生活圏は全部中心部にあって、行き来するのに時間がかかります。
よくこんな山の中に…。不便でないの?
そんな風に言われることもあります。
ハイ。
「とかさ」が「不便」に化けること、確かにあります。
ぶっちゃけ、多々あります。
だけども結局、わたしはここの暮らしが好きで、どうせ暮らすんだったらここ がいい。ここ を選びたい。
なんで?と言われると、それは、
「とかい」から。
ここでは、物事がとてもシンプルに存在しています。
すべて、自然のめぐりのままに。
冬は厳しい季節ですが、人の気持ちがお互いに優しくなる。
誰かとほっこり、一息つく時間が、とてもありがたい。
春の日がさしてくると、全身が嬉しくなる。
旬の物を食べると、五臓六腑にしっくり、ぴったりくる。旨さがしみいる。わたしは、このシンプルさの中で過ごしていると、自分自身にかなり率直に向き合える気がします。
あ、お日さん出てきた。
あ、お月さん今日、まんまる。
あ、雪つもってる。
あ、季節かわった。
あ、わたし、今、ここにいる。
あ、しあわせだな。
と。
とりわけ、大好きな人たちと一緒に、
「あ。今、同じ気持ちをあじわってるな」、と感じる時は、本当にたまらなく、嬉しいです。
便利さから、距離がある。
その分だけ、見えてきたり、向かい合えたりするものがある。
ブログタイトルの「とかいところ」には、現実的な意味合い以上に、こんな思いが込められています。
べらぼうに寒かったり、雪が面倒だったり、通勤がつらかったり、育児のリズムと両立しづらかったり、ああー大変だー。と思うことはありますが、
やっぱりここ、好き。という気持ちの方が、いつでも勝っている。
自分にとっては、そんな日々を過ごせる、貴重な場所です。
小さな「好き」も、新たに気が付いたことも、これからたくさん書きつづっていきたいと思います。
…でも、確かに「効率」や「便利さ」とはまた違った醍醐味なので、「とかさ」に負けずに暮らすには、また工夫が必要です。
「とかさ」に負けずにしっかり生きている人たちのことを、わたしとだんなさんは敬意をこめて「剛の者」と呼んでいるのですが、そのお話はまた別の機会に…。
つづく。
おまけ。
「とかいところ」というイカした言葉を授けてくれた、おばあちゃん達。
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