世代論2 想定問答
2013年11月26日 facebook投稿
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世代論です。
たまたま料理屋で、20代の会社員女子VS40代おやじ平社員・40代女性管理職という対立図式にして「お互いの世代の平均像を意識して想定問答をつくろう」という言葉遊びをしていたら、いろいろと発見があったので書いておきます。「想定問答」で実話ではないですから、念のため。
(テレビで特定秘密保護法案通過のニュース)
おやじ「まったくこんな悪法が通って、日本はだめな国になってくな!」
女子「どうしてですか?」
おやじ「だって、お上が情報を隠すしさ、ちょっと情報漏れがあるだけで普通の人が逮捕されたりするんだぜ」
女子「聞きたいのは、わたし個人にどういう影響があるのかです」
おやじ「民主主義が後退すると、世の中が暗くなって、なんかやな感じじゃん。反体制ってわけじゃないけどさ、おれ」
女子「体制・反体制とか、左翼とか右翼とか、そういう区分けは私たちには全然ないですよ。私がやりたいことができればいいと思います。私は私、他人は他人ですから」
おやじ「いやその、なんていうか、ほら・・・」
管理職「ところで今度、若い社員にモチベーションあげてもらうためにイベントやるんだけど、うちの会社が業界ナンバー1がみえてきた、がんばろうっていうのはどうかな?」
女子「そういうのは全然心に響かないですよ」
管理職「え? なんで?」
女子「それは会社の問題で私の問題ではありませんから」
管理職「でも、うちの会社に所属しているわけだから・・・。じゃあ、どうすればモチベーションあがる?」
女子「そうですね。会社の業務の社会的意義とか人の役に立ってるとか、そういうのが認識できればいいですね」
管理職「あなたの業績がいいからとほめるのはだめなの?」
女子「特別視されるのはみんなよろこぶと思いますよ。でも会社のために働け、ではなくて、あなたの個別の能力がこの会社に必要なんだという<文脈>でほめられたいですね」
おやじ「それじゃあ、やりたくない仕事はやれないじゃん。おれなんかずっとやりたくない仕事ばかり(泣く)」
女子「会社は自分がやりたいことをやるために入るのであって、それがやりたいことではなかったら、違う道を探します」
おやじ「転職ばっかりすることになるじゃん」
女子「そうですよ。自分がやりたいことをできないんだったら意味がないですから。会社への所属意識もありませんし」
管理職「やりたいことって何?」
女子「ひとそれぞれですから。友達は転職を繰り返して、やっとデザイン関係の仕事ができたってよろこんでました」
おやじ「三日もてば一年もつ、一年もてば三年もつ、三年もてば七年・・・」
女子「それじゃ、いつまでたってもやりたいことができないじゃないですか」
管理職「あなた、それじゃずっと自分探しじゃない」
女子「自分探しという言葉は好きではないですが、私たちの世代は個人主義ですよ。自分は自分だから、自分のやりたいことを目指すのは当然です」
管理職「私たちの世代は自己評価が低いからね。若い人は大事に育てられたのね」
おやじ「あのう(すでにへなへな)、世代の比較してみませんか? まず親や先生はこわかったなあ」
女子「親はこわくないですよ、むしろ友達感覚。先生はたいへんだろうなって思うぐらいでしょうか」
おやじ「親には勉強しないと落伍者になるぞって言われたなあ」
女子「いえ、あなたは好きなことをすればいいよと言われました」
おやじ「学生まではやっぱり親のすねかじっている負い目があって、就職したら自分の給料だけで食えて、気持ちが自由になったなあ」
女子「私たちは逆ですね。やりたいことをやるために会社に入ったのに現実はやっぱり違うなあって悲しくなりました」
おやじ「やりたくない仕事でも一応終わると快感はあるけど」
女子「快感は仕事とは別にみつけるしかないですよ。仕事で快感なんて、いまはないですね。ずっと絶望している感じです」
おやじ「ストレスたまんない?」
女子「たまります」
管理職「私たちの世代だと海外に飛び出すというのは少数派で、日本でプレッシャーがあって、その反作用で勢い余って出てしまうとか」
女子「海外は選択肢のひとつですね。あくまで」
おやじ「部活で先生にビンタはされるし、体罰はもちろん否定するけど、いじめは見るからにとろいのが悪ガキに殴られるみたいな」
女子「私たちの世代のいじめは先生や親からは見えないですよ。学校裏サイトである子の悪口言ったり、無視したり。いじめといじめられの関係は逆転することもあるし。最近はLINEで悪口いうのが一般的らしいですよ」
おやじ「俺たちは抑圧されていたから、自由になりたいなあとは思っていたけど、おまえは能力があるなんて親にも先生にも言われないから、定職があって食っていけるまでにとりあえずなれればいいというか」
女子「親も先生も自分たちをほめますよね。私だけほかの人とちがうってほめられるのがいちばんうれしいです」
管理職「世界でただ一つの花かあ。私なんか会社の先輩に、歯車にもなれないのに偉そうこというなってどなられたなあ」
女子「いまの上司でどなる人なんかいないですよ」
管理職「私たちもいやだった経験があるから、いまの若い人をどなったりしないようにしているわね」
おやじ「抑圧されるから逃避で音楽聞いたり、映画見に行ったりして。それが思い出には残っているけどね」
女子「私たちゆとり世代は、総合学習で自由になにをやってもいいと言われましたが、そうするとなにをしていいか分からないというのは確かにありましたね」
おやじ「なんだかんだ言っても、年を取ると自分の分止まりもわかるし、それなりに若いときよりしあわせかなって思うけども」
女子「私たちの世代はこれから世の中がよくなっていくなんか思っていないですよ。でもサバイバルってほど熱くはないし、とりあえず好きなことができればいいかなって。夢を持つのがすばらしいという教育は受けましたが、現実的なところもあるというか」
管理職「あなたは優秀だから会社の重役と食事をしませんかっって誘われたら、うれしい?」
女子「それはうれしいですよ。だって自分は特別ってことですからね」
おやじ「俺たちほめられるの苦手だなあ。いえいえ自分はそんなんではないですからってなるね。間接的にあいつはいいなと言われるぐらいかな、うれしいのは」
女子「そうですか、そういうの分からないですね」
管理職「それなら、人事とかではあなたを特別視してるってフィクションをつくればいいのね!」
女子「それはそれで、いいと思いますよ」
・・・勉強になりました。ゆとり世代にどう政治的、社会的問題を語っていくのかは、「すべき論」では絶対にだめだと分かりました。どれだけ魅力的な物語をつくるかですね。「いまの若い人は」って言ったらおしまいと、気を引き締めて、茨のオヤヂ道を進みます・・・たぶん・・・。
こういう風に時代は角をまがってしまったわけですから。