出産子育てで得るものイズなに
Twitter(X)で話題になっていたアラサー独身女たちの話題、出産子育てで得られるものは何?の話。
30歳になる数日前に子を産み子育て歴12年を超えた一介の兼業主婦から見たら今時のアラサー独身女は青いなと思うが、それはわたしがこれといった婚活も妊活もなく葛藤のないまま2児の母になったからだとも思う。
結婚1年目に東日本大震災が起きて多くの命が失われていくのを見て、本能的に子孫を残した気がする。そしてなんとなくもう一人いたらいいなと思って4人家族になった。
SNSは子育て中の人間たちの愚痴や苦労で溢れ、発信する側のトピックはどうしてもポジティブな感情よりネガティブな感情が多くなる。
ポジティブな感情は見ず知らずの他人とシェアして薄める必要はなくて、自分の心の中に濃いまま持ち続けたい。
ネガティブな感情はネットやSNSの大海原に垂れ流して消化して消火して昇華したい。
人間ってそんなものだろう。
話は変わって、少し前にこれもTwitter(X)で話題になっていたが、何者にもなれなかった自分が子どもを持ったことで〇〇ちゃんのママになれた、何者かになれた、と考える人たちもいるらしい。
わたし自身この考え方には否定的で、親になって12年を超えた今でも〇〇くんのママということにアイデンティティを見出していないし、この子たちの親ではあるが〇〇くんのママということを矜持することはまずない。
そもそも好き好んで旧姓を名乗っているので、〇〇の妻だということも〇〇くんのママだということも元の自分が削られたという感情が大きくて、これに関してはアラサー独身女たちと考えが合いそうである。
夫や子に出合わなくても何者かになれた/なれるはずだった自分を失ったという喪失感は今もなおある。
そう考えるとやはり失ったものは大きいが、改めて、出産子育てで得たものは何か、失ったもの以上に得たものはあるのか、考えてみると、失ったものは自分だけの人生の延長上に存在したであろうものであり、得たものは自分だけの人生を生きているだけだったら出合えなかったし気付けなかったもの、ということかと思う。
それが失ったもの以上に価値のあるものだといえるかどうかはわからないが、失ったものを必死に取り戻しながら得たものも噛み締めてバランスを取っているのが今のわたし。
もう7年以上前の話になるが、上の子が年少さんの終わりくらいの頃、「〇〇くんは4にんかぞくだよね」と言って、薬指だけを曲げた手を見せてきたことがあった。
とても曲げにくそうな形にした4本の指を見て、なんで親指を曲げて4を作らないんだろう?と思ったが
「おとうさんゆびと、おかあさんゆびと、おにいさんゆびと、あかちゃんゆびの4にんかぞく」
だと。自分はおにいさんゆびで、弟はあかちゃんゆび。うちにはおねえさんはいないのでおねえさんゆびを曲げている。
赤ちゃんの弟がいて、自分はお兄さん。
数の概念だけの4ではなく、それぞれの指の名前も考えた、4歳なりの4人家族の形だった。
子どもの発想ってすごいんだなと思った。
まあ、こんな些細なエピソードでは得たものはその程度なの?と思われそうだが、慌ただしい毎日の中でこういう子どもならではの感性に触れて気付くことがあるのも悪くないと思う。
そもそもこの歳になると得ているのか与えているのかなんて大した話ではなく、人生山あり谷あり、流れにのるしかない、ただそれだけ。