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あのこは貴族(ネタバレあり)

さえぼう先生がブログで映画「あのこは貴族」のレビューを書いていてとてもおもしろそうだったので、有休消化を兼ねて休みを取って見に行ってきた。

水曜の午後、有楽町。
公開から1ヶ月経つが上映中の映画館が減っているからか、平日にもかかわらず162席のシアターは7割は埋まっていた。
見たところ、20代から40代の女性がほとんど。わたしもそんな一人である。

原作小説があるようだけど、わたしの予備知識はさえぼう先生のブログと映画情報のHPのみ。原作未読で見に行ってきた。
以下、そんな一鑑賞者の雑多な感想(ネタバレあり)。


美紀

美紀は高校まで富山で生まれ育ち、猛勉強の末、慶應義塾大学に入学。
地方の水準でいう中の中の家庭育ち(わたしの個人的見解)。
これもわたしの想像だけど、本来は国立を狙うしか大学進学の道はない経済状況の家庭(それが地方の水準でいう中の中の家庭)なんだけど、本人が都会に、というか華やかな世界に、つまり慶應に憧れを抱いてしまい、早々に志望から国立を外し経済状況を度外視して私立に絞ってしまったタイプ。
学力的には地元国立は余裕、がんばれば旧帝大も狙えただろうに、シャッター通りが目立ち衰退著しい地方で育ってしまったがために、華やかな世界への憧れが強く出てしまった。
大学に入って最初の洗礼が内部生。
エスカレーター式で上がってきた慶應育ちの女の子ね。
内部生にお茶に誘われ、ついて行った先がホテルのラウンジ。
ホテルのアフタヌーンティー4,200円なり。ちーん。
わたしも大学入学と同時に上京したけど、国立だったので地方出身者も多く、上京早々にそういう世界に触れることはなかった。
慣れた頃に徐々に触れたのでそっちの世界にもうまくつながれたけど、上京早々のそれは堪えるだろうな。
美紀も国立だったら上京してもうまくやれていたんじゃないかと思うけど、美紀は国立に行きたかったわけじゃないんだよね。
憧れの「慶應」に入りたかった。
その結果だから、本望とも言えるのかどうなのか。
そうして、ホテルのアフタヌーンティーをはじめとする内部生の洗礼にショックを受け、一緒に富山から上京した友達の里英とともに、内部生たちを「貴族」と思うようになる(なお、実際はこの人たちですら貴族ではない、というのがこの映画のおもしろさ)。
家庭の経済状況を顧みずに進学した慶應だが、父親の失業、再就職が決まらないなどの不運もあり、自分で学費を稼いで学生生活を継続しようと夜の仕事を始めたものの、両立できず中退してしまう。
しばらく夜の仕事に専念していたが、大学で一度だけノートを貸した内部生貴族の幸一郎が客としてやってくる。
幸一郎にノートを貸した話から盛り上がり、二人は10年ほど関係を持つことになる(いわゆるセフレ)。
その10年のあいだに美紀は夜の仕事も辞め、お客さんに紹介してもらった会社に入ってバリキャリ路線への復活を遂げる。
東京タワーの見える港区のワンルームマンションに暮らし、大学中退で一度は夢破れたとはいえ、今は実直に働くアラサー会社員である。
美紀は大学中退後も富山に戻ることはなかった。
憧れた慶應に自分の居場所はなかったけど、それでも東京にとどまり、夜の世界から昼間の世界に戻ってくる。
意地っ張りで見栄もあった美紀だけど、根は真面目な頑張り屋さんで、東京っていうのは勤勉さがあればどうにか生きていけるところなんだと思う。
美紀は本当に真面目。
幸一郎と知り合ってダラダラと関係を続けるも、幸一郎の彼女になろうとは決して思っていない。
幸一郎のいる世界に憧れはあっても、あそこが自分の居場所になることはないと悟ってしまっている。
華子と幸一郎の婚約を知って、幸一郎との関係をスパッと切る潔さもある。
そのあたりがとても切なかった。

華子

華子は松濤生まれ松濤育ち。開業医の家庭、三姉妹の三女。
小学校からお嬢様私立育ちで、20代後半になっても小学校からの気の合う友達とよく集まっている。
わたしは駒場のインカレサークルに入っていたので、駒場から渋谷まで歩くことがたびたびあった。
駒場から渋谷まで歩く道中、松濤がある。お屋敷が並ぶ高級住宅街。
駒場という、「学力しか勝たん」地のすぐそばに、学力ではたどりつけない「家柄しか勝たん」地があるのは皮肉だなと思う。
華子の小学校からの友達は、家柄重視で結婚して専業主婦になる。
その生き方に疑問を持つこともなく、狭い世界で生きている人たち。
令和には批判されがちな一昔前の価値観だけど、そういう階級の人たちには昔ながらの男女の役割というのが今も脈々と受け継がれていて、簡単には逃れられないんだろうな。
まあでも華子の次姉(相棒でおなじみの篠原ゆき子さん)はバツイチ女医なので、華子の家庭はそれ以外の価値観にも寛容なのかな。
東京生まれ東京育ちでとても狭い世界で生きている華子のような人、わたしも実生活で知り合ったことある。
とても品が良くてマウントを取ることはないんだけど、とにかく世間知らずで心配になるくらいお人好しだったな。
まあ、なんだかんだで華子は性格が良い。終始の感想、これに尽きる。

幸一郎

幸一郎、イメージは鳩山家。
松濤どころではない、鳩山会館のようなところに生まれ育ち、幼稚舎から慶應の由緒正しき慶應ボーイの弁護士。後に議員秘書。
代々実業家や政治家を輩出し、日本を動かしてきた由緒正しき一家。
華子から見た「貴族」。
幸一郎は家を継ぐことが自分の使命であり、セフレの美紀に時には弱音を吐きながらも、結婚相手はそれ相応の家庭の相手でなければならないとわきまえて生きている。
背負うものが大きすぎる幸一郎。
嫌な人として描かれているわけじゃなく、生まれながらに背負ったものの重さに人生を縛られた、誰よりも自由がない可哀そうな人に見えた。

逸子

いちばん好きな登場人物。華子の親友・逸子。
華子と幸一郎が婚約した頃、幸一郎と美紀の関係に気付いた逸子は美紀と華子をホテルのラウンジで引き合わせる。
おいおい、逸子、修羅場のセッティング!?!?と最初思ったが、違った。
逸子は華子の小学校からの親友で、結婚して専業主婦になる階級に生まれたけど、浮気性の父親が外に女を作って子どもまでいて、それでも母親は世間体を気にして離婚せずにいる、不仲家庭育ち。
それもあって、母親のような生き方に疑問を持ち、自立した女を目指して、世界を飛び回るバイオリニストとして独り身のままでいる。
そんな逸子だからこそ、美紀と華子を引き合わせたのには修羅場のセッティングじゃなく、ちゃんとした意図があった。

逸子「女同士で叩き合ったり、自尊心をすり減らす必要はない」
地方から脱出したくて上京し自分の居場所をうまく見つけられないながらも自立した女を目指す美紀と、自分の暮らしが他人に委ねられた(富岡義勇風に言えば、生殺与奪の権を他人に握らせた)お嬢様階級から脱出して自立した女を目指す逸子。
出発点は違っても、目指すところは似ている二人。
ネットを見ていると、専業主婦vsワーママだの、保育園ママvs幼稚園ママだの、女同士で叩き合ったり自尊心をすり減らしたりしている人たちがたくさんいるけれど、ほんと無意味。逸子、あっぱれ。

幸一郎と華子の結婚生活

幸一郎と華子の結婚生活、印象的だった。
華子は松濤育ちのお嬢様だけど、自分よりもずっとずっと上の貴族である幸一郎と結婚してしまったがために、知らなかった、見たくなかった世界を見ることになる。
結婚前の身辺調査。
いずれ幸一郎も代議士になる人であること。
子孫を残すことの重要性。
離婚したら子は置いていかなければならないこと。
(このあたりは小泉家を彷彿させる)
幸一郎は幸一郎で、何の悪気もなく、自分はこの家に生まれたからやるべきことは決まっている、と大きなものを背負って生きていて、そのやるべきこと(しかるべき階級のしかるべき女性との結婚)として、幸一郎の人生のパーツのひとつとして自分が組み込まれた、と華子は気付く。
華子のやるせない気持ち、なんとも言えない悲しさがあった。

美紀と華子の再会

美紀と華子の再会を経て、最後、自分探しの真っ只中の華子で終わるのがとてもよかった。
華子のような環境で育ってアラサーになって新たな一歩を踏み出すのはすごく勇気がいることだと思う。
美紀の言葉「どんな場所に生まれたって、最高って日もあれば、泣きたくなる日もあるよ」胸に響いた。

美紀も華子も自分探しが軌道に乗ってハッピーエンドだけど、果たして幸一郎は・・・と考えると、幸一郎の生きづらさは計り知れないところである。
でもおおむねハッピーエンドなので、見終わった後に心地良さが残った。
とてもよかった。
どんな階級に生まれても苦悩はある。あとは自分次第。

おまけ

冒頭の2015年のシーン、乗ったタクシーの窓に初乗り700円のシールが貼ってあるんだけど、次の2017年?のシーンでは初乗り410円のシールに変わってた。
そうそう、初乗りの料金と距離変わったよね、と思った(だからどうした)。