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読書リハビリ:踊る幽霊

ついに届いた。
Amazonで注文してしまったら、定期便のコーヒーと一緒に紙袋に入れられて届いた。
開いた「踊る幽霊」からはほのかにコーヒーの香りがした。

「踊る幽霊」オルタナ旧市街の単行本だ。
このところのお気に入りの作家さんなので、届いた本はすぐに読んだ。
もう読書リハビリなんて言う必要ないほど、読書に前向きになっているではないか。ありがとう、オルタナ旧市街先生。

オルタナ旧市街について、過去の記事

踊る幽霊

本の題名となっている踊る幽霊をはじめとする随筆21篇を収録した単行本、それぞれはそこまで長くないので読み始めたら一気に読んでしまった。
期待通りに面白かった。
どれも街に関わるというか、起点とした話になっていて、どこからでもよめるのも良い。
そう、表紙にもあった、「何度でも覚えなおせばいいし、何度でも忘れていい。」
そんな気分で、気軽に読んで、また読み直してを繰り返せるような普遍的な随筆たちだった。たぶん、また折を見て読み返すだろう。
トイレに配置し、家族にふと手に取ってもらうなんていうのもいいかもしれない。

特に印象的なものをいくつか。

反芻とダイアローグ(水戸)

これは並びとしては3つ目になるのだけど、この一文に全編を通しての前提があった。旅先での情景を丁寧に記述した後

こういう時間に出会うと何か書きたくなるなと思った。日々のサンプリングによってじぶんの文章と呼べるものが生まれている。快適な自宅にこもっているのは好きだが、肉体の移動を続けなければわたしはやがて何も書かなくなるだろう

オルタナ旧市街「踊る幽霊」

そうなのだ、やはり当たり前だけど外に出ることで得られるものが間違いなくある。全編を通じてそういった街の情景、出来事、思いが綴られていた。
私もこれを読んで、武蔵小金井に足を伸ばした。実践あるのみだ。

白昼夢のぱらいそ(箱根)

やはり自分も行ったことがあるところはわかりやすい。
箱根に旅行に行き、駅からあえてバスに乗って宿に向かうそんな話。

私も箱根は何度か行っている、強羅は通過しただけだったと思うし、近年の混雑具合はどうなのかは知らない。
でもオルタナ旧市街の文章で完全に状況や情景が補完されて、私にも太川陽介が見えた。
同行していたら、私も間違いなく怒られるし、走らされる。

一刻も早くチェックインして宿でだらだらしたい。温泉を出たり入ったり出たりして、部屋の”あのスペース”で本でも読みながらうたたねするのだ。部屋の奥のふすまを隔てた窓際に、ちょっとしたテーブルと椅子のある用途不明の愛しきあのスペース。

オルタナ旧市街「踊る幽霊」

私は温泉に興味がない、それでもあのスペースでくつろぐためには、程よい温度の温泉に入浴しておく必要があることは知っている。
温泉に入るのは目的ではなく、あのスペースでくつろぐための手段であるべきとまで思っている。
若干の意見の相違がありそうではあるが、あのスペースに関しては完全に同意しているつもりだ。
旅行には本は何冊か吟味して持っていく。これは電子書籍ではなく書籍であるべきで、そして必ず読み終えることはなく帰ることになる。
「こんなに持っていっても、結局読めないな。」と自宅で思うところを含めて読書だ。
ちなみに私はキャンプでも書籍を持っていく。結果は言うまでもなく同じことになる。

猫の額でサーカス(浅草)

私はずっと東京に住んでいるが、浅草はちょっと縁がなく遠いところにあるイメージだった。幼い頃に行った記憶はないし、ある程度大人になってからしか行っていないから。
何度か行った浅草は完全に観光だ。
出張で来ていた中国人を案内したり、子供を連れてほおずき市に行ったり。
しかしながら、本題は浅草そのものではない。閉店してしまう思い出の店についての話だ。

わたしは往々にして「かつて訪れた場所がなくなる」という場面に多く直面しつつも、いざ別れを惜しむ瞬間に限ってそのイメージと現実に乖離が生じることがよくある。そのたびにすこしずつがっかりする。
また都合よく覚えていただけだったのだ。所詮昔の記憶なんてそんなものだとわかっていつつも、想像していたノスタルジーがぴったり目の前で再現されないことがわかると、勝手に残念な気持ちになってしまう。
人間の記憶力なんて吹けば飛ぶような頼りないものである。

オルタナ旧市街「踊る幽霊」

これも非常によくある、年齢を重ねてきたせいか、失われたものを思うことが多い。そしてそれらはどれも美化されていることが多い。
なのでこういった思い出は誰かと答え合わせをしない方が良い。
姉と昔住んでいた家の話をして、あまりにも印象が違いすぎて険悪になったことがある。この話はしない方が良かった、自分の心のうちに留めておくべきだったと反省した。
これと近しいところでは、一方的に知っていた人と会うのもなかなか難しい。ライブハウスで見ていたあのバンドの人とか、話さないままの方が良かったことは多々ある。

踊る幽霊(巣鴨)

そして表題となる踊る幽霊。
学生の頃に見かけたストリートパフォーマー、と言っていいのかよくわからない人についての話。

私は音楽を聴きながら読書をすることが多い。
聴き慣れている音楽をランダムで流しつつ、その方が読書に集中できる気がするのだ。
主に読書を移動中の電車でしていた弊害でもあるのかもしれないが。

踊る幽霊を読んでいたその時。
私の優秀な相棒であるiPhoneは「すみれ September Love」を流し始めた。
気がついたら、ストリートパフォーマーはその音楽で踊っているようでもあり、土屋昌巳のようでもあった。

そしてすこしだけとんこつラーメンが食べたくもなった。

外出する

土曜日、私は外出した。
金曜日に「踊る幽霊」を読み始めて、「反芻とダイアローグ」まで読んだからだ。
意欲が湧いたというか、外出しておきたいと思った。
大した用事ではないし、別に行かなくてもいいというか、結果は大体予想できたのだけど、あえて外出をした。
「踊る幽霊」を読んでいなかったら、メガドンキには行っていなかっただろう。え?メガドンキ?
不要不急の外出が必要な時は結構あるものだ。


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