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読書リハビリ:ごろごろ神戸(SUUMO編)

ついに本丸に到達。
「ごろごろ神戸。」は平民金子の連載をまとめた単行本だ。
文學界の「めしとまち」がとても好きで、後追いで「ごろごろ神戸。」を知り単行本を購入しておいたのだ。
なかなか読むタイミングにならなかったが、ついに到達したのだ。

平民金子が気になる人はご本人のnoteもぜひ。

ごろごろ神戸。

全体としては5部に分かれていた。なかなかのボリュームである。

  • ごろごろ神戸。

  • ごろごろ神戸。2

  • ごろごろ神戸。3

  • ごろごろ神戸。2 B面

  • ごろごろ神戸。3 B面

好きなところが多いので、今回は「ごろごろ神戸。」のSUUMOに掲載されていた部分についてのみ。その他はまたいつの日か。

ごろごろ神戸SUUMO編

色々と不勉強だったので、ごろごろ神戸、が当初SUUMOに掲載されたものというのも今回初めて単行本の前書きで知った。
と同時期、SUUMOの街エッセイにいいものがあると別件で知ったのでちょうど読んでいた。これはいい連載だ。
それ以降当面引っ越す予定はないがSUUMOを定期的にチェックしている。

「ごろごろ神戸。」は四十台の子育てについて、ゲームチェンジャーはベビーカーという話だった。
「ごろごろ」はベビーカーを転がすという意味合いなのだ。

神戸には全く土地勘がないので、こんな街があるのかと新鮮な気持ちで読んでいる。
JR神戸駅から阪神高速道路を挟んだ南側10分程度歩いたところにある「稲荷市場」
またそこから歩いて10分程度のハーバーランド、新開地方面と「神戸新鮮市場」
どれもこれも耳にしたことがない。
この時代だから、Google mapを活用すれば実際の街やその距離感なんかも当然ながら確認することが可能だ。
だが、そういう発想には至らなかった。
むしろ、知らないからこそ、「架空の港町神戸」を想像して楽しんでいるような得した気分にもなれる。

子供同士でも遊びに来れる串カツ屋、一杯50円で売られている冷やし飴やレモン水、鮮魚屋、八百屋、惣菜屋、漬物屋、洋服屋から文房具屋からメシ屋からガラクタ屋まで、ありとあらゆる種類の店が隙間なく縦横に並ぶ混沌。このような一帯が時代の流れの中で大型スーパーなどに吸収されず今現在も現役で稼働しているのは奇跡としか言えない。

「ごろごろ神戸。」平民金子

そうそんな奇跡は存在しえない、架空の港町の話なのだ。

また、クレイジーケンバンドの小野瀬雅生が関西ツアーのたびに足繁く通う「天よし」という食堂に行き、子供が寝ている間に天丼を食べる部分も秀逸だ。

蓋がのせられたお椀が運ばれてくる。開けると湯気で村下孝蔵の天丼に、「ウマウマウー!」と小野瀬雅生ブログのフレーズを真似して、心の中で声をあげる。

「ごろごろ神戸。」平民金子

村下孝蔵は誤字ではない、蒸らした構造の意味である。揚げたての天ぷらではなく、ツユをかけて蓋をしてしばし蒸らした天丼なのだ。
まちに続いて、めしの話。

そしてごろごろ。

ベビーカーを押している時間なんて、ほんの数年だろう。今は毎日睡眠時間も削られて精神的にも肉体的にもしんどく、この時が早く終わってくれ、早く終わってくれとばかり願って過ごしているが、そういう時期にかぎって、何年もたって振り返ったときに貴重だったと思える事を、40歳を過ぎた自分は知っている。

「ごろごろ神戸。」平民金子

ぼくも子供がまだ言葉を喋れない時期、会話ができたら楽なのにとか、楽しいだろうにと思っていた。
しかし、小学生になった今となっては、その言葉を発していなかった頃の子供と過ごした時期がどれだけ貴重であったのか知っている。
だから今は他愛もない話もできる限りする。
娘の同級生の話や、ドッヂボールの結果や、学級新聞の取材方法など、もうすぐに聞くことができなくなる話をしている。
今できることができなくなる日がすぐにやってくるのだ。

「ごろごろ神戸。」は2016年初出だが、これは「めしとまち」の原型であった。
まちの話とめしの話が両輪となりベビーカーを走らせている。
ごろごろ。
って書くと二輪しかなく、台車を引っ張っているみたいだ。
うん、それはそれでイメージに近い気もする。

今はごろごろ神戸。2を読み終わり、ごろごろ神戸。3に入ったところだ。
もう残りが少ないことに気づいて、一旦読むのを止めている。

SUUMOの街エッセイ

これは全く別口でリンクを辿って知ったもので、たまたま読んだ街エッセイが非常に良かった。
場所は橋本、神奈川県相模原市にある、橋本だ。

橋本は特に自分に近い街ということはなくても、とても読み応えのある内容だった。ぼくの好きなコロナ禍前後の話も含まれていることも良いところだ。ライターの方が実際に何年も住んでいる街を丹念に紹介しているのだけど、この街をなんとなく決めたとは思えないような、隅々まで地元を知ったうえでの文章であった。

その後山崎ケイの幡ヶ谷も読んだ。
笹塚に住んでいたことがあったので、幡ヶ谷は生活圏も近く、また雰囲気も知っていた。
笹塚近辺で物件を探したこともあったので、その時にもう少し丁寧に幡ヶ谷あたりも探しておけば良かった。
こういう若い頃の「金はないけど豊かな時間を過ごした話」も嫌いじゃなかったことを思い出した。

今後も定期的にチェックして街エッセイを拾い読みしていこう、これで無料というのがありがたい。

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