ルネ・デカルト
ルネ・デカルトは16世紀にフランスで生まれた哲学者。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉や、近代哲学・合理論の祖として知られる。
主著は『方法序説』『省察』など。
ちなみに数学によく出てくるX軸とかY軸とかからなる座標を作ったのもデカルト。
ここではそんなデカルトさんの思想についてパパッとまとめる。
◆神の存在証明
デカルトさんはカトリックの洗礼を受けちゃってる系男子なんだが、
宗教的(キリスト教的)な神(人格神)ではなく、人間一般に共通しそうな神(完全なもの)が存在するかどうかの証明をしてるんだな。
それが次の通りだ。
「神は完全だ!つまり全能だ!だから存在できる!ゆえに神はいるンゴwwwww」
うん。
暴論で草。
◆「我思う、ゆえに我あり」について
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」というキモい名言を残している。
おそらく生きていれば一度は聞く言葉だと思うが、意味はよく分からないだろう。
ここではデカルトがこの言葉を解き放った経緯について簡単にまとめる。
昔、なんかよく分からないけどデカルトさんは真理を求めたくなっちゃったらしい。
デカルトさんの考える真理というのは、普遍的なもの、すなわち、疑いきれないもののことを指す。
そしてデカルトは「すべてのものを疑いきれないとこまで疑って、絶対に疑えないものが出たらそれが真理じゃね?」と考えた。
このような真理を求めるために少しでも疑わしいと思ったものは全て偽りとみなして切り捨てる態度のことを方法的懐疑と呼ぶ。
例えば今、目の前に研ナオコがいたとして、「もしこれが夢の中だったとしたら目の前の研ナオコは偽物である」という風にどんどん疑っていくわけだ。
このようにデカルトさんは方法的懐疑を使って真理を探してたわけだ。
こうして疑っていった結果、デカルトさんはあることに気がつく。
「自分が何かを疑っているということ自体、疑いようのないことじゃね?」
要するに、何かを疑っている自分の存在自体は疑いようのないことじゃね?と考えたわけだ。
それが「コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum)」、
いわゆる「我思う、ゆえに我あり」という言葉だ。
こんな風にしてデカルトさんは一つの真理っぽいものを見つけたわけだ。
ちなみに後になってイマヌエル・カントというおじさんが、
「デカルト君の言う通り、疑っているということは疑いようのない真理だね。でも疑っている自分の存在自体は疑えるくね?」
というマジレスをぶちかましちゃうがここではあまり触れないでおこう(白目)
今回はここまで。閲覧ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?