外向型と内向型 それぞれの不安と困惑
同窓会で人々を観察してみたら、ここが外向と内向の本質的違いなんじゃないか?と思えるポイントがあった。
なお私は内向寄りなので、以下はその視点から書かれた文である。
外向型の特徴
おそらく彼らは「シラケ」に耐えられない。自分のついているテーブルが盛り上がっていない場合、何とか流れを変えて楽しくしなければ、と思っているように見える。
自分の周りにいる人々から、肯定的なフィードバック・反応(自分への直接的返事でなくてもよい、重要なのは場が盛り上がって楽しい雰囲気であること)が得られない状況において、彼らは不安を感じているようだ。耐えられなくなると、友達を呼んだり他の席に出向いたりして、最低一名からの肯定的反応を確保しようとする。
こちら内向型としては、べつに無理に盛り上げなくてもいいのに、我々は特にシラケが苦しくはないのに、なぜ盛り上げようと必死なのだろう、と思う。同時に、なぜ無理に楽しまなければいけないのだ、感情を強要しないでくれ、とも感じる。
「あなたオリジナルの作品を作ってください。アイデアは友達に相談せず、一人で考えること。今の売れ筋や流行については考慮せず、己の考えや思いを表現してください。展示はしません」
と言われたら、外向型はかなり困るだろう。周りからのフィードバックや参考にできるものが何もないのに、できるわけない、と。とはいえ、社会人生活においては「売れるもの」が大事なので、外向型の感覚は非常に有利だ。
「5億年ボタン」を押したときの苦しみは、外向型の方が大きいだろう。5億年ボタンを押した後みたいな部屋、に数時間いるのも辛いのではないかと思う。
場にいる人々が楽しんでいるかどうかを気にする、という意味で外向型は「繊細」である。しかし周囲の人間にフィードバックしてもらわないと不安になる、だから盛り上がれ、というのは「図太い」感覚でもある。
内向型の特徴
私も含めて、内向型は周りがシラケていてもあまり気にせず、食事を進めたりスマホを触ったりしている。何もせずぼーっとしていることもある。
内向型が不安になるのは、自分の中にある考えに対して否定的フィードバックが来た時、または来そうな時だ。自分や他人の考えや心などが、攻撃さえされなければいい。シラケムードはそのような攻撃はされにくい状況なので、周りが酔っ払って大声で盛り上がっているよりは安全とみなす。
おそらく外向型としては、こいつらは何故せっかくの機会なのに楽しく過ごそうとしないのだろう、何故自分だけが努力して盛り上げてやらないといけないんだ、と感じている。
「売れる商品を作ってください。アイデアはグループで考えること。好き嫌いではなく、売れ筋や流行についてしっかり考えてください。展示はします」
と言われたら、内向型はかなり困るだろう。これじゃ“私が”やる意味ないじゃないか、精神を殺された気分だ、と。とはいえ、革命やイノベーションは売れ筋や流行りの反対側にあるから、人類の進歩に内向型は必要だ。
ライブや飲み会で盛り上がっているとき、その盛り上がり感に対して恐怖を覚えてしまうのが、内向型の苦しみだろう。場に最も求めるのは、正気なのだ。
自他の精神がおびやかされないことを望み、他人にフィードバックを強要しないという意味で内向型は「繊細」である。しかし攻撃さえなければ場の盛り上がりはどうでもいい、むしろ静かな方がいい、というのは「図太い」感覚でもある。
つまるところ
外向と内向の分水嶺は、自分の外側(場や流行)と内側(考えや心)、どちらを重要視するか
外向型は周りと協調して楽しい場所を作りたがる。
自分の周囲にある“場”の雰囲気が大事。
周りに影響を与えて・何らかの反応を得ることが好き。
場と自分のあいだには、たくさん穴のあいた薄い壁がある。
内向型は周りと協調して安全な空間を作りたがる。
自分の中にある“思考・心”の保護が大事。
自分や他人それぞれのペースや考え・気持ちが侵害されないことを望む。
場と自分のあいだには、ドアつきの分厚い壁がある。
100%常に不変の外向型・内向型はおそらく存在せず、周囲の環境や自分の内部要因(体調など)によって刻々と変化していく。