家族愛を長年理解できなかった男が犬を飼って初めて知った様々な感情を振り返る会
私のYouTubeや執筆記事を長年見ている人は知っていると思いますが、うちの事務所には看板犬がいます。
血統証などはないので、たぶんどっかで何らかの小型犬が混じってると思いますが、親は4.5kg程度の超小型コーギーらしいです。
さて、この子がうちに来た経緯からお話しましょう。
そもそも私は基本的に引きこもりなので、一年のほとんどを事務所兼自宅で過ごします。
買い物なども管理人(秘書)に任せているので、本当に外に出ません。
株式投資家という仕事はすべての作業を室内で完結できてしまうので、元々の性格と相まって外に全く出なくなりました。
それを見かねて、管理人が「犬を飼おう」と言い出しました。
元々彼女はドッグトレーナーですし、犬の躾のプロです。
なので「私は面倒みれないけど、あなたが飼いたいなら良いよ。私が死んだらあなたの家で飼うんよ」という条件でOKを出しました。
実はうちの管理人は犬が大好きで、犬のことになると周りが見えなくなるくらいの犬好きです。
わざわざ犬の専門学校を卒業しているので、筋金入りです。
10年くらい前からずっと「犬が飼いたい」と言い続けていて、でも自分の家はマンションで飼えないのでずっと悩んでいたのです。
そんなある日、私の事務所が広くなったタイミングで、虎視眈々と狙っていたそうで、急に「犬を飼いましょう」と言い始めました。
というか、すでにいろいろとグッズを用意していて、事務所のあちこちに置いていっていました。
私は自分の作業スペースしか見ないので、事務所のいたるところにこっそりと犬グッズが増えていたことに気づきませんでした。
そんな感じだったので、私がOKを出した後わずか数日で子犬がやってきました。
日頃の業務ではけして見せない極めて迅速な行動です。
「運命感じたんで!この子にします!」
ということでした。
この子が来た初日はまぁ大変でした。
生後2ヶ月の赤ちゃんなので、どこでも関係なくおしっこをしますし、うんちもします。
一瞬目を離すとどっかに行って粗相をしています。
サイズが小さいのでどこにでも入り込んで、ソファーと壁の間とかで💩してました。
私では入れない隙間なので、一旦ソファーを動かすという大仕事です。
この日から数日間、本来なら静寂に包まれているはずの事務所内が、急激に慌ただしくなりました。
この頃はまだちゃんとしたカメラもなくて、画質が良くないのですが、過去の動画を漁っていたら初日の動画がありました。
この日から、このやんちゃ坊主と私の生活が始まりました。
まずは名前を決めないといけないということで、管理人と喧々諤々の議論を繰り広げた結果「ステテコ」と「獅子丸」が残って、男の子だという理由で獅子丸が勝利しました。
もちろん由来は忍者ハットリくんの獅子丸です。
命名した頃の動画も残ってました。
この後、獅子丸は急速な成長を始めます。
どこの子犬も同じですが、小さい瞬間なんて一瞬だけで、あっという間に大きくなります。
私から言えるアドバイスは、子犬を飼う前に一眼レフか高画質スマホを買っておけ!ということだけです。
i-PhoneかGoogle Pixelなら尚良しです。
子犬の可愛い瞬間は一瞬だけなので、その瞬間を大事に撮っておくべきです。
私は当時、犬にさほど興味もなかったのでいらんだろと思っていましたが、今になって買っておけばよかったなと思っています。
こういう可愛い瞬間の動画をもっと高画質で撮りたかったです。
獅子丸が来て1~2ヶ月くらい経つと、上下関係が明らかになってきます。
当然に第1位は管理人で、管理人のいうことはほぼ完璧に聞きます。
私については「たまに餌をくれるデカいやつ」という認識で、あまり言うことを聞かない感じでした。
ただ、この頃から私自身も「うちの子天才では?」という病気にかかります。
もちろん今でもかなり賢い子だなと思っています。
というのも、教えた芸をかなり早く覚えますし、今でもできることが増え続けているのです。
細かく数えてないですが、今では30個くらいコマンド覚えていて、管理人の指示通りに動きますし、アジリティの遊具も難なくこなします。
もちろん犬なのでテンションが上がると全然ダメですが、基本的に賢い良い子です。
ちなみに、この動画はまだ生後4ヶ月くらいの頃です。
なんか全体的に細長くなって来て、ジャックラッセルテリアだったのでは?と疑いを持ち始めた頃です。
コーギー大好きおばさん曰く、コーギーにも短毛種はいるし、足が比較的長い子も普通にいるから普通にコーギーだそうです。
お気づきかもしれませんが、画質が上がっております。
20万くらいかけてカメラやスマホを買いました。
私の中で明確に変化が現れ始めたのは、獅子丸が来てから約1年が経った頃からです。
それまでは「自分の犬」というより「管理人の犬」という感覚で、親戚の甥っ子くらいの距離感だったのですが、獅子丸側が徐々に私に慣れはじめて、甘えてくるようになりました。
仕事中に何度も抱っこをせがんで来て、日中のほとんどを私の膝の上で寝て過ごすようになりました。
この記事を書いている今も膝の上に乗って、私の左腕を枕にして寝ています。
これが獅子丸の日常になっていて、ほぼ毎日一緒に過ごしています。
私が企業の財務諸表を分析している間とか、noteを書いている間、ずっと大人しく寝ているのです。
控えめにいってとても良い子です。
こうなってくるともう愛着が湧いてくるので「管理人の犬」から「私の獅子丸」に変化していきます。
獅子丸を観察する時間が増えて、体調の些細な変化とか、機嫌の良し悪しなどもわかるようになりました。
おしっこやうんちの世話も何とも思わなくなり、今では淡々と処理できます。
ほぼ毎日おもちゃで遊んであげるし、散歩にも行きます。
仕事で出張が入ったときも基本的に連れていきます。
この間も長野への物件調査に連れていきました。
私は、子供の頃からずっと被虐待児だったので、家族というものの概念が崩壊していて、愛情が全くわからない人間です。
心の何処かで家族愛なんてものはただの幻想で、子どもは親の無計画な性行為によって過ちとして生み出されて、親の身勝手によって生死を勝手に決められる存在でしかないという感覚が強くあります。
自分で自分の人生を選べるような家庭環境に生まれた人たちは単に運が良かっただけで、一歩間違えば私と同じだったはずだと思っているのです。
言葉で伝えるのが難しい感覚ですが、極端な表現でいうとすべて嘘だと認識しています。
親が子どもに対して示す愛情表現というのは、単に社会的倫理的義務感を果たしていると偽装するための手段であって、本音では「邪魔な存在だな」と感じているのだろうと思っています。
だからこそ、親子で喧嘩したときとかに「お前なんか産まなければよかった」とか「お前なんか死ねばいいのに」という言葉が親からでてくるのです。
どこの親でも本音は同じでしょと思っています。
事実として、子どもの食費や学費で親の人生の選択肢が極端に狭くなっているので、経済的に見ると邪魔な存在でしかありません。
ほとんどの家庭で共通していえることですが、子どもさえいなければ、親はもっと多くの資産を形成できるし、もっと自由に生きられます。
その自由を奪うのが子どもという存在です。
私の中ではそういう感覚なのです。
だから家族愛を描いたドラマなんて虫唾が走って見れないですし、家族仲が良いことをアピールしている家庭を見ると「それ勘違いだよ」と内心思っています。
その後すぐに浮気や離婚などで崩壊する家庭を見る度に「ほらね」と思うだけです。
たぶんこれはある意味真理だと思っています。
現実にたくさんの崩壊家庭を見てきているので、上手くいく家庭の方が少ないという認識を持っています。
しかし、獅子丸を我が家族として認識し始めてから、私の中で少しずつではありますが確実に感覚がズレ始めています。
ふとした瞬間に獅子丸のことを考えている自分がいますし、ホームセンターでは必ずペットコーナーに立ち寄る自分がいます。
何の用もないのに。
そして犬用のおもちゃを見ていると、獅子丸が楽しそうに遊んでいる姿が脳内に容易に浮かんできます。
そりゃ買いますよね。
もしかしたら、家族愛ってこういうものなのかなと思う瞬間があります。
別に獅子丸から利益を得ているわけでもないですし、むしろ経済的には大きなマイナスを生む存在です。
餌代、ワクチン代、病院代、保険代などを考えるとなかなかのお値段です。
獅子丸は様々なアレルギーを持っているので、餌代と病院代はかなり高いです。
そういうマイナス部分が多々あると認識している一方で、健康で、楽しく、長生きしてほしいと願っている自分がいるのもたしかです。
私がいつまで生きるかわかりませんが、私の体が動く限りは散歩に連れて行ってあげたいですし、美味しいご飯を食べさせてやりたいです。
怪我とか病気をせずに、元気でいてほしいです。
そういう想い自体が、家族に対する愛情なのかもしれません。
正直、犬を飼うというのは楽しいことばかりではありません。
私の大事な書籍をビリビリにされたことも2回ありますし、15万円のソファーの上でおしっこされてブチ切れそうになったこともあります。
何の前触れもなく急に吐いて、しかもそれを前足で踏んで部屋中全力疾走されて部屋中がゲロまみれになったことも3回ほどあります。
そして基本的に臭いです。
事務所全体に獣臭が漂っています。
2週間に1回はシャンプーをしていますが、このシャンプーがマジで大変です。
チビのくせに毛の塊みたいな存在なので、乾かす時間が長いのです。
しかも人間の赤ちゃんと違って、犬はずっとこの知能のままなので、上記のような作業が永遠に続きます。
それでもなお、こいつには幸せでいてもらいたいです。
それが家族愛というものではなかろうかと思っています。
人間の子どもに対してこの感情が湧くかは実証実験していないのでわかりませんけども、少なくとも獅子丸にはそう思っています。
このちょっと不格好な犬を通して、私は愛情を教えてもらったような気がしています。
自分に懐いている動物は、とてもかわいいです。
獅子丸の細かい年齢は知りませんが、多分今2歳半だと思うので、あっという間に3歳になりそうな雰囲気です。
来年も再来年も同じ気持ちでいられるか、自分自身を観察していこうと思います。
なんかドリカムの歌詞みたいな話ですね。
果たして何年経ってもかわらぬ気持ちで過ごしてゆけるのか、それとも愛情が完全に冷めるのか、見ものです。