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墨田系ビートルズカバーバンドの興亡
そういえばビートルズの曲をまともに演奏したことってなかったなと、それがきっかけでした。
ビートルズ・カバーバンド、ベース募集
そのころ私は別にオリジナル曲のバンドをやっていましたが、掛け持ちでこのバンドに加入しました。
ほかのメンバーは男2人。
バンマスはジョン・レノン役、30代のギターヴォーカル。
もう1人のジョージ・ハリスン役ギターヴォーカルは50代。聞くと2人は同じ職場とのことでした。
私はポール・マッカートニー役のベースマンです。
ジョンとジョージは生まれも育ちも墨田らしく、そういう次第で、練習場所は必然的に墨田区内となりました。
問題はドラマーがいないことでしたが、何週間か後にバンマスが若い男を連れてきました。まだ始めたばかりらしくキックもまともに踏めないレベルでしたが、それでも一応、ジョン、ポール、ジョージ、そしてリンゴ・スターが揃ったのでした。
墨田区に通う
毎週杉並から地下鉄と東武線を乗り継いで曳舟とかに通って練習しました。
ハーデイズナイト、サムシング、シーラブズユー、ドライブマイカー…
やはりビートルズを演奏するのはすごく楽しいです。演奏することでじっくりと曲を聞きなおすと、アレンジなどにいままで気が付かなかった発見があったり。
練習の後は近くのサイゼリヤで飲んだのですが、ドラマー君だけはそういうのはいやだというので先に帰りました。
そのうちビートルズと同時代のバンドにも手を広げ、キャントエクスプレインやユーリアリーガットミー、黒くぬれなんかを演奏し、
オールディーズカバーバンドとして順調に曲を増やし続けました。
ドラマーの問題
ただ、このバンドのネックとなったのはドラマーでした。
なかなか上達しないドラマー君に業を煮やしたバンマスがクビにしました。
そのころバンマスは徐々に独善化しており、この時も「今日は練習やめにして楽器屋にいこう」と仕切り始めました。
一緒にやってきた仲間が辞めて、しかもリズム隊の私は片割れを失ったわけです。どうしてそんな平気な顔してられるのか。結局、この件がきっかけで私も抜けることになりました。
ちなみにビートルズもドラマーで苦労したらしく、デビュー前にピート・ベストがクビになったことは有名ですし、新たに加入したリンゴ・スターの演奏もプロデューサーに不安がられ、ラブミードゥでは叩いているとかいないとか。後にポールに罵倒され脱退未遂事件を起こしたり。
早くも解散ライブ
墨田区のビートルズのラストライブは、小さなステージ付きの飲み屋で、ドラムレスアレンジでレパートリーを演奏しました。
演奏中に店長も乗ってきて、モズライトを持ち出してきて一緒にセッションしたりとか、それなりに楽しく終わりました。
バンマス君に最後に会ったのはその数か月後。浅草サンバカーニバルを一緒に見にいき、隅田川沿いのうんこビルをバックに会話して別れました。