第1条ー4 三段階審査はいつ使えるのか
前回は、マクロのフレームワークの観点のうち、「どんな憲法上の権利(または客観法)が問題となっているか」という観点にクローズアップして、特に3セットの対立概念がポイントである旨を説明した。
今回は、「主観的権利」と「客観法」の対立に続き、「実体的権利」と「手続的権利」、「自由権」と「請求権」という2つの対立概念を見ていこうと思う。
繰り返しになるが、このプロセスの最大の目的は、その事例で三段階審査が使えるのかどうかを判定することにある。(三段階審査がなにか知らない人は、次の章(連載的には5回くらい先かな)にて解説する。)
逆に、そもそも三段階審査が使える場面は何なのかを理解できるようになれば、なぜこのような判定プロセスが必要なのか納得できるだろう。
三段階審査が使える場面というのは、端的に言うと、「原則ー例外」が観念できることである。
ここでいう原則というのは、「国家から余計なことされないよ」というデフォルトの状態でいることが憲法上保障されていることで、例外は、「国家がそのような憲法上保障されていることを邪魔(制限)するからにはちゃんとした理由(正当化理由)が必要だよ」というイメージであると思ってもらえばよいと思う。
(この説明の中にある三段階審査の要素を強調しているので、この点を意識してほしい。)
典型的な表現の自由を例にとれば、「国家から私の表現行為を邪魔されない」というデフォルトの状態が憲法上保障されている場合、表現行為を国家が制限するならば、その制限は正当化されないと許されない、という三段階審査に基づく論証が可能となる。
裏を返せば、「国家から邪魔されない」というデフォルトの状態が憲法上保障されているというような状況でなければ、三段階審査は発動しえない。そのロジックの中に、「正当化されないと許されない制限」が観念できないからである。
例えば、給付を求める場面というのは、国家から邪魔されないことを求めるのではなく、国家から何かをしてもらおうとしているのであり、これを制限したところで、直ちに正当化のプロセスが必須になるとはいえない。(国家が給付を拒否したことを違憲と主張するのであれば、三段階審査を用いずにそれを論証するか、特別な理由付けを示したうえで三段階審査を使う許しを得なければならない(誰に?)。)
これが、自由権と請求権の対立の話である。
自由権というのは、放っておいてもらう権利ということができる。
他方で請求権は、放っておいてもらうのではなく、何かをしてもらうことを求める権利だから、両者は正反対のベクトルを持っている。
事例問題を解く際は、原告にあたる登場人物が、そのどちらを求めているのか(あるいはそのどちらでもないのか)を強く意識しなければならない。
令和4年司法試験の問題はまさにそうで、何らの説明もなしに三段階審査を用いることは許されなかった事例といえるだろう。
ただ、請求権を争う場面であるからといって、すべての場合に三段階審査を用いることができないわけではない。一見して自由権が保障される状況にないから請求権を主張している(主張せざるをえないようにみえる)事例において、ベースライン論を強引に使うなどして自由権的な状況を見出すことも不可能ではない。
フレームワークというのは、覚えれば自動的に結論が出てくる魔法のアイテムではなく、あくまで考え方の視点を供するにすぎないと何回か言っていることの証左のひとつだ。
なお、自由権に言及するときに防御権という用語を使う文献がある。防御権という言い回しは、憲法上の自由権規定を人の権利であるという点をドイツ流に協調したものであると思うが、本連載では防御権と自由権を区別せず、自由権という呼称で統一したい。
残る対立概念として、実体的権利と手続的権利がある。
手続的権利は、主に憲法31条から39条までの権利を指す概念で、実体的権利はそれ以外の権利と理解してもらえればよいと思う。
手続的権利も(客観法にとどまるものではなく)主観的権利(前回参照)であろうから、比較衡量の方法により合憲性を判断することも可能であろう。
ただ、手続的権利にまつわる違憲審査において、三段階審査を用いることができるかは悩ましい。
自由権を、放っておいてくれの権利であるとイメージしたときに、手続的権利はそれに合致するだろうか。むしろ、国家に対して、適正な手続に則って自分を扱ってほしいと求めているともいえることからすれば、請求権的ともいえるのではないか(私見)。
三段階審査に基づいて初めて発売された体系書である渡辺ほか「憲法Ⅰ 基本権 〔第2版〕」(有斐閣、2023年)は、手続的権利に関する第12条第1節および第2節において、三段階審査らしい言い回しをしていないから、手続的権利に三段階審査が適用されないことを前提にしているとみられる。
つまりは、前回の記事で示したフローチャートのとおり、手続的権利であれば、主観的権利であるから比較衡量は可能だが、実体的権利(もとい自由権)ではないため、三段階審査を用いることはできないと、そういう説明に帰着する。
結局は、手続的権利に関しては、基本的に判例が示した規範に基づいて論じるのがセオリーであるが、この点については、後々の章で解説するほか、過去問でも何度か触れるはずであるから、ここでは触れません。
ということで、今回は言いたいこと言えたので、明日はマクロのフレームワークにおける2つ目の視点についてお話します。