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受験生が憲法理論を学ぶことはコスパが悪いのか
最近、私以外にも、受験生や合格者の方で司法試験や予備試験の憲法についてのnoteを書いている人がたくさんいますよね。
中には、ちゃんと基本書等を読んで勉強したうえで記事を書いている人もいて、似たような記事を書こうとしている私としては、早く記事を書かねばと一人で勝手に焦ってます。
他方で、憲法で深い理解なんて必要ない、勉強しても意味がない、頭でっかちになるだけだと、憲法について深く学ぼうとする人を揶揄するような合格者・受験生も目につきます。
あんまり顔真っ赤にして反論するのはどうかと思うのと、今の大多数の受験生の心理はどちらかというと、憲法はコスパ悪いと考えている節があるので、ここは冷静に、受験生は憲法理論についての深い理解を身に着けるべきとの立場でコラムを書いてみます。
これは、本講座の存在意義にかかわるところであり、連載の最初の方で言及した点ともかぶりますが、改めて言語化を試みます。
端的に言うと、憲法理論への深い理解を身に着けるのは、憲法の論文式試験を地頭勝負にしないためです。
深い憲法理論により得られるのは、問題文の事案をどのような視点や枠組みで検討すればよいのかという洞察力です。
「こういうタイプの事案の場合は、こういうことが問題になっていて、この2つの点について検討する必要があるんだな」というように、ただの感覚ではなく、汎用的な思考ロジックのフローとして、憲法のセンスを身に着けることができます。
これが、中途半端な憲法の知識しかないと、目の前の事案をどのような視点から処理していけばいいのかがわからないのですから、地頭や感覚、生来のセンスに頼って答案を書くしかありません。
私は、センター試験の国語で100点台を取るくらいには地頭が絶望で、予備試験の勉強を始めて1,2年目の頃は、憲法の怪文書をしたためていたくらいだったので、地頭に関係なく他の受験生に差をつけられるようなフレームワークの獲得は学生の頃から目指していたところでした。
ただ、憲法理論の深い理解が司法試験に大いに役立つとしても、それを一端の受験生が一から独学で身に着けるとなると話は別です。
答案を書くのに使える憲法理論というのは、そう簡単には身に付きません。
それこそ、何日か前の記事で凡例として挙げたような百冊ほど(数えてないけどそれくらいあると思う)の専門書に目を通し、それを体系化するために再構築して、自分が使えるというレベルまで憲法理論についての知見を深める必要があります。
例えば、違憲審査基準論を答案で使うのであれば、「違憲審査基準論の構造分析」は必読だと私は考えていますが、この1冊でさえ消化しきれる学生は多くないでしょう。
だからこそ、私はこの連載を始めました。百冊ほどの憲法書から、身に着けるべき憲法理論についての素養を私なりに再構築し、それを受験生が咀嚼できるようにお伝えすることが、本講座の目的です。
なので、これを読んでいる受験生の皆様は、決して小難しいようにみえる憲法理論から逃げないでください。
いつか、私が理想とする知識水準が広まって、受験生全体のレベルを上げるというのがささやかな野望なのですが、今ならまだ有利をとれるはずです。
この連載を無料公開しているのは、多くの受験生に憲法理論について関心を持つきっかけになればいいなという思いからです。
このnote上での連載は、講座を作るための一人ブレストのようなもので、これから清書に入っていき、そのうちどこかで映像講義として販売したいなと思っています(仁義を通すため、Bの字のプラットフォームにまずは声をかけようとは思ってます)。
ただ、さすがに今年の司法試験受験生には間に合わないと思うので、もし今年の受験生で私の講座に興味を持ってくれるのであれば、個別にお声がけいただければ清書版のスクリプトも共有しますので、ご意見ください。