👇俳句についての記事をまとめてあります。
随時追記あり。ご参考になれば幸いです。
(´>∀<`)ゝ
✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚
俳句を始めてそろそろ一年が経とうとしています。
最近句作に行き詰まることが多くなりました。
たった一年ですが、基本を忘れて暴走してドン引きされる句を作ってしまう事もしばしば・・・。
( ´ㅁ` ;)💦
そんな時は基本に帰ること!
俳句の基本といえば「客観写生」と「花鳥諷詠」です。
私は「客観写生」とは、目の前の風景を、写真を切り取るように表現する事だと思っていました。
作ってみたところ、面白くも何ともない句になりました。
そもそも目の前の風景を伝えたいなら写真の方が正確に伝わるわけで。わざわざ俳句にする意味ある?
多分「客観写生」は、そういう事じゃないような気がする。そう思い、客観写生について調べていましたら素晴らしい記事に出会いました。
小山孝治氏の俳論より、【147.客観写生の理解】という記事です。
詳しくは元の記事を読んでいただきたいのですが、一部抜粋します。
そうだったのか!ヾ(Ô⍙Ô〃)
私が目の前の風景をそのまま詠んだ句は、ただごと句だったのです。どうりでク○面白くなかったわけです。
では、「事物を客観的に表現してはいるが、その後ろに奥深い主観が潜んでいるという句」とは、どういう句なのか?
どうすればそういう句が作れるのか?
ヒントとなった記事があります。
杉岡壱風氏のホームページより、【デッサン小論】という記事です。
少し長いですが抜粋します。
こちらを読めば、どのように推敲されたかがよく分かります。
まず雪だるまが解けてしまった「残念とおかしさ」という主観があり、雪だるまが解けた景色を客観的に写生されている句だと思いました。
推敲の流れも興味深いです。
虚子のいう「客観写生」とはどういう事なのか、ほんの少し理解出来たような気がしました。
(分かったからといって詠めるわけではないのですがね。)
袋小路 綴乃