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虎視眈々とならん。

虎視眈々、か。

昨日発表があったnote創作大賞を取られた作品の中で使われていた言葉だ。

正直言うと、眈々の部分が思い出せなかったし読めなかった。虎視チ○チンじゃないしなー。けどまああの…重いやつ、なんだっけか、灰色だか黒だかのやつ…それも今スマホで調べた。「広辞苑」だ。その広辞苑がなくても虎視眈々の読みを秒で調べられる便利な時代だ。

【虎視眈々】敵や相手のすきをねらって、じっくりと機会をうかがうこと。

出典:学研 四字辞典熟語

なぜだろう、この言葉に惹かれたのは。単に萎縮の一途をたどる私のニホンゴ脳が刺激されただけだろうか。仮にそうだとしても、この力強い響き、粘り強さ、そしてどこか猫系のあの獲物に向かって飛び出す前のお尻をフリフリしながらそれも限界までジリジリフリフリしている感じの滑稽さが私の脳に加わる。


虎という響きにもどこか惹かれる。
私の友達に、台湾出身の優秀な音楽家がいる。彼女は私より10歳ほど年下だが、若い時から海外留学を勝ち取り、台湾で結婚・離婚した後、子供の教育のためにと渡英し、その子供に毎日レッスンを与えている。見たことがあるが、基本、そのレッスンは褒めまくりだ。そのポジティブさには本当に頭が下がる。チェロを弾く子供も優秀で、エコーが効く会場でお母さんのピアノ伴奏とズレてしまったときには、「お母さん、あなた2小節先を行ってるよ! 」と大声で返す。お母さんは、ああ、ごめんごめん!と言い、子供と言えど音楽家同士平等な関係を保っている。彼女はレッスンの時には、自分は tiger になるのだ、と言っていた。 その強さは実に晴れ晴れしかった。


私は早生まれの兎年で、学生時代はいつも大多数の虎たちに囲まれていた。気の弱い私は少し大きな虎たちに圧倒されがちであった。しかし今となっては周りに同級生はいない。イギリスは干支も使わなければ学年も9月始まりである。五十近くなった今となれば、賢くなったうさぎがちょいと虎の被り物を被るくらいはできようぞ。

…方向性がよく分からなくなったので、落ち着いてもう少し調べてみよう。

「虎視眈々」の出典は、古代中国、儒教の経典の一つである『易経(えききょう)』の「頤卦(いか)」で、
『顚頤吉。虎視眈眈、其欲逐逐、无咎。』
顚(さかしま)に頤(やしな)わるるも吉なり。
虎視眈眈、其の欲、逐逐(ちくちく)たれば、咎(とが)なし。

訳すと、「上に立つ者が下に立つ者に面倒を見てもらうこともいいことだ。虎のように鋭く目を光らせて自分の徳を磨き続ければ問題はない」という意味です。
当時の中国では、「国王は優秀な部下に政治を任せればいい」という考えでした。しかし、この考えの悪い点は「国王が部下から甘く見られ、政権を乗っ取られる恐れがある」ということです。
そうならないためにも、国王は部下に対して「にらみ」を利かせなければいけません。「にらむ」は「睨む」と書きます。そのため、「(部下を)にらむ」という意味で「眈々」を使っていたのです。

よって、元々の出典から言えば「目上の者が目下の者ににらみをきかせる」という使い方が正しいことになります。ただし、現在ではどちらかと言うと「目下の者が目上の者の地位を狙う」という用例で使うことが多いです。

https://kokugoryokuup.com/koshitanntann/ https://dime.jp/genre/1523732/#google_vignette


なるほど。私の年齢からすると、もう元々の意味合いのほうがしっくりくる。スピードの速い若者たちに頼るのも良い。しかしやはり経験がものを言う、という場面は頻繁に訪れる。

例えば、うちの夫は私とは世代違いの年下である。ほぼほぼインターネット情報とデータにより人生を測っている。昨日、そんな夫に小さな相談をした。路肩に乗り上げたときに車のタイヤの形が少しゆがんでいて、空気圧が下がっているようだったから、明日のロングドライブのために空気を入れたほうが良さそうよ、と私は言った。彼は、そんなことはない、空気圧が下がればセンサーのランプがつくはずだ、と言い切った。センサーの機能について聞き返すが案の定思い込みで言っている。私はいつもここで匙を投げる。
しかし、このごろはスマホのメッセージを送って会話を続けることもある。私は、うちの車の推奨空気圧と、タイヤの空気圧センサーは異常な圧の低下を知らせるためのセンサーであることを説明しているToyotaの公式サイトを送ってやった。
シメシメ。これで私の欲求不満は解消した。あとは自分で空気を入れに行けばいいだけだ。日本のようにガソリンスタンドではやってくれない。自動販売機のような機械にコインを入れて、空気圧を設定して、自分でタイヤのチューブのキャップを外してその圧と音に多少ビビりながら空気を送り込むのだ。そして後は、ああ、若い頃に日本のガソリンスタンドでバイトをしておけば良かった。と、空を仰ぐだけだろう。

虎視眈々の反対は「諦める」という意味になるらしい。そうだ。若者たちの青臭い反発に、毎度匙を投げてまるごと諦めるというわけにはいかないのだ。ちゃぶ台をひっくり返すでもなく、箸を飛ばすでもなく、虎だ。虎のように岩の上に座っていればいいのだ。
戦場では睨みを利かせながら自分の徳を磨く。そしてお役目外では被り物をとって兎に戻る。それくらいがいい。

ちなみにこれを耳偏にして「耽」だと「物思いに耽(ふけ)る」という意味の漢字になるらしい。それを読んで、私はただ、目だか耳だか見分けがつかないほど目がかすれていることに気づく。
周囲を「眈(にら)む」目もほどよくかすれ、虎も貫禄をまとっていけば良い、か。


とにかく、双葉社賞作品は、読み心地も後味もよい良い作品だった。そして私に少し年齢を重ねたところの「虎視眈々」という野心を抱かせてくれたことに、心から感謝している。ありがとう、そして、おめでとうございました。

#note創作大賞2024 ー 双葉社賞 ー


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