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シロクマ文芸部|色彩のない風景

『寒い日に』から始まる世界  色彩のない風景 630字

寒い日についてなにを知っているのかと問われると自信がない。
ずいぶんと長く一緒に暮らして、隅々まで知っているはずだと言われても、ボクは全く答えられない。

あれほど近くにいたというのに、寒い日の特徴や性格はほとんど何もわかなかったし、そもそも意識することすらなかったんだと気づく。

寒い日はバイトもしていなかったから、いつも時間を持て余していたことだけは確かだ。
だから、夕暮れのバス停で口笛を吹いていたところを連れて行かれたって聞いたときもまったく驚かなかった。

首の後ろをヒュルリと舐められたことはあるかい? 
寒い日が暇なときによくやる遊び。あまり続けてやると、みんなマフラーをきつく巻いて早足で去ってゆくか、恋人と毛布に潜りこんでしまうから、寒い日もちょっとは淋しかったんだと思う。

蚤の市で逢ったんだ。
埃っぽい雑踏にまぎれてクローブがたっぷり入ったホットワインを飲んでいたとき、ボクと目が合うと、寒い日はどこまでもついてきた。

それ以来、寒い日が読む、ブエノスアイレスに暮らす小説家が書いた物語をまどろみながら聴くのが日課になった。寒い日には過去形も未来もなかった。いつ寝ているのかさえ知らなかった。

日曜は一緒に金柑のジャムを作ったりした。それをお湯で割って、蚤の市で買った金模様のある藍色のカップで飲むのを気に入ってた。

だから寒い日についてボクが覚えているのは、あの甘味な匂いと、透き通るような空と木枯らしに混じって色彩のない風景にすっかり溶けこんだ気配だけなんだ。



#シロクマ文芸部      にはじめて参加させていただきました。


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