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人に酒を注ぐ仕事
昔から、キャバレー、キャバクラ、ホステス、キャバ嬢といった言葉があって、そんな仕事が女性にだけ準備されてることが怖かった。
「女は酒注ぐだけで金がもらえていいよな」
なんて言われるけど、いいえ全然。
酒なんか飲みたくないし、飲んでる人たちがいる中に入っていきたくないし、酔っ払いと話なんて絶対したくない。
絶対に嫌だ、やりたくない、と思ってることに対して、
「ラクして儲ける方法がある」
と妬まれ、さげすまれるなんて、あまりの落差に気が遠くなりそうだ。
実際に経済的問題に直面した時も、いつか誰かに
「酒注ぐ仕事しろ」
「カラダ売れ」
なんて言われないかと想像してぞっとした。
男はカラダ売れなんて言われなくていいよな。
まあ
「マグロ漁船に乗せられる」
なんていう反論が来るんでしょうけど。
「マグロ漁船」までに男性はチャンスをいっぱいもらい、女性はさっさと「キャバ嬢」になるようお膳立てされるから、やっぱり「女性の貧困」のほうが根深いというのが答えなんだと思う。
貧困から守られないといけないのは男女とも同じで、
ただ女性の経済的自立への道が険しすぎるから社会全体で大きく肩入れしていく、ということでいいんじゃないだろうか。
男と女、どっちが経済的に苦しいかという命題は不毛だ。
どちらも助かるようにすればいい。
少し話がずれた。
酒を飲まない私は、日本の「キャバクラ/ホスト文化」自体が社会の不幸せだと思っている。
きれいに着飾った女性に客が金を払って酒を注がせ、「自分には社会的地位がある」というような錯覚をさせることを産業にする。
これがもう歪みを生んでるのだと思う。
実際にはないものを「ある」として売る。
バランスが取れていればエンタメになるのかもしれないが。
ないものをあんまりにも
「ある!ある!」
としてやり続けると、虚構を生んでる人たちもどこかでしんどくなってくるし、客の問題行動にも繋がってくるだろう。
それが
「ホストに貢ぐキャバ嬢」
「ストーカー化する客」
「勘違いして女性に無礼をする男性」
といった形で、私たちはすでに目にしている。
しかし日本はキャバクラ文化にブレーキをかけなかったから、
「男女平等」ってことでホスト文化も成長してきた。
それは日本独自のエンタメとか接客、サービスとして誇れる部分もあったかもしれないが、
悪い側面は
「若い女性たちの立ちんぼ」
「殺傷事件」
として噴き出てきてると考える。
人に酒を注ぐ仕事を、社会で安易に認めてはいけないのだと思う。
きれいに着飾った女性と話したいなら、自分もそれ相応の服装とマナーで会いに行けるようでなくてはならない。
「金払ってるんだからいいだろ!」
という態度の人々をのさらばせてきたから、社会の歪みが生じてきた。
本当は手に入るはずもない
モデルのようにきれいな女性、
ビジュアル系の美しい男性
の幻影を追いかけさせて金を払わせる、というシステムの終わりが見えたということだろう。
世の中から一掃しろ、などとは思わないけど、多少帳尻を合わせる時は来たと思う。