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「子どもがかわいそう」という言葉

「切り抜き」と理解した上で、
「子どもがかわいそう」
という言葉は、第三者が気軽に使って良い言葉ではないという確認をしたい。

なんらかの論争や賛否両論あることで、相手を批判するのに家族を持ち出してくる人たちがいる。

こういう人たちの一体何割が、本気で子どもたちの心配をしているだろう。

ほとんどが、自論に正当性を持たせるため、もしくは相手に言うことを聞かせるために無関係な子どもの存在を持ち出してきてるに過ぎない。

その児童の存在、未来を今まさに危うくしてるのが
「子どもがかわいそう」
と善人の顔をして懐に収まろうとする人たちである。

「かわいそう」
という善意っぽさを纏っているため、気軽に同調する人たちも多く、厄介な言葉遣いである。

このスキャンダルもそうだし、
「いや、実際子どもが被害に遭ってる状況だから誰か言うべきでしょ」
という反論もあるだろうが、

それならそれこそ、児童にとばっちりがいかない配慮が必要ということだ。

「子どもがかわいそう」
とその子の大切な家族に投げつけることが、すなわち「かわいそう」を増長させてしまうのだから、言い方を考えよう。

他人の子どもをカジュアルに利用し、かわいそうぶることが、一番の害悪だ。

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