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桂香の王手について(「有効な王手」概念の導入)

今回は詰みにおける、桂香の使い方について考えていこうと思う。内容自体は大した量はないものの、「有効な王手」という概念の導入に手間をかける。こういうのをていねいにやっていくことで、ほかにないバリューを出せたらいいなと思っている。

先に言っておきたいのは、桂・香・歩は、いずれも成って、金として使うのが基本だってこと。金の代用としての使い方は、金の使い方について参照いただきたい。それ以外の例外的な使い方についてそれぞれ見ていこう。

ちなみに『終盤のストラテジー』で終盤について定義をしていたけど、私見では必要十分条件を満たしておらず、反射的に、反例を3つくらい挙げてしまった。自然言語の既存の用語に定義を与える試みは学問的なんかね。この辺、私はフランス現代思想のイカレた文章を読もうとして読めないうちに大学を卒業した身なのもあり、まるで実感できない。あのジャンルは、ダブルミーニングやら、掛け言葉的なのを原語でバシバシ使ってきて、「使われている言葉から書かれていない意味を読み取る」みたいなのを平気で求めてこられてた。におわせメンヘラか。

さて、ネットの将棋中継や、大盤解説、動画、自戦記観戦記などで、厳密には王手があるのに「王手がない」と書かれているケースをたまに見る。これが有効な王手がないケースだ。「王手をかけるだけならできるけど、タダで捨てるだけで意味がないから、ないも同然」という意味で使われている。プロ的には、変な手無駄な手意味ない手で、そもそも思考にないから、なかったものにされているわけだ。皆さんはわざわざ探すまでもないが、もし見つけたければ、生中継アプリのコメントとか注意して見るといいだろう。

例えば、しっかり矢倉に囲っているところ、▲1二金の王手は、できるけど無駄だよねといった感じ。

下手の攻め駒なしなら、▲1二金や▲1四桂は候補に挙がらない


「考えればわかるでしょ」とか、「そういう慣習だから」とかが普通の発想なのは知っている。厳密に考えるのは面倒な割に得はないしね。しかし、非論理押し付け大嫌いマンの自分からすると、気になってしまう表現でもある。本書では、「有効な」ということば遣いを意識的に行う予定で、今回がその導入となる(「有意味」のが適切かも。また、定義ではなく、あくまで使い方。まあ。この辺の言葉遣いは哲学専攻だったひとのこだわりで、基本無視していいです)。

有効な王手とは何か説明していこう。ほとんどの場合、以下のどちらかを指す。

1.すぐには取られない王手
2.1を実現させる王手

要は、取られるなら普通無駄。攻め駒は取られないよう王手をしようってことだ。すぐ取られるのだったら、その先の有効な王手を実現させるために動いていなければいけない。歩はよくこの捨て方をされる(詰みにおける歩の話はこれだけだと思う)。

今回の主役である桂香の話に戻すとともに、前にサポートする、されるの関係を思い出してほしい。金の話をした際に、サポートする駒が弱くても、王手で押していけると書いた。対して、サポートがなくても王手をかけられる点が桂・香の強みだ。

以下の図で、持ち駒に金がどれだけあれば詰むのかと、金に加えて何があれば詰むのか、考えてみよう。


持ち駒は可変としたら何か必要か

金銀だけだと、100枚あっても、絶対に詰まない。サポートの駒がないため、有効な王手(≒取られない王手)がかからない状態だ。どこから金を打ったとしても、玉で取り返されてしまう。
そこに桂があれば、干天の慈雨。▲3四桂の王手が入り、玉では取り返せない。あとは金2枚くらいあれば詰みになる。

桂さえあれば▲3四桂で
△3二玉に2列押し込めば詰み(上図は△3二玉に▲4二金△2一玉▲2二金の例)

金銀で切りかかるとしても、最後は大将首との接近戦で勝負が決まる。一対一の殴り合いでは、意外と将棋の大将は強く、王手の連続では倒せない。
そんなときは飛び道具のサポートが頼りになる。弓で狙った那須与一、的を狙いを定めていれば、当たればよし、防がれても手番を渡さずに攻め駒を増やせる。注意をそらして、次に金銀の追撃で仕留めてやろう。そのとき、サポートする側の駒として働くだろう。

香は合駒について考えなければならず、要領としては似ていても、相手の状況を考慮に入れる必要があり、分岐がめちゃくちゃ増える。例示して分類、説明するのは手間のわりに得るものが少ないので、各自必要に応じて、考えてみてほしい。

桂香について、単独で王手をかけられる駒である強みを説明してきた。また、「有効な~~」は今後拡張して使っていくことになると思うので、意識に止めておいてもらえるとありがたい。



今回は比喩を多めに使って、ゆるい口調も混ぜつつ書いてみた。さいきん、Chat-GPTいじっていた結果、基本の論理構成は最低限出来ていればあとから整えられやすいので、修辞技法の訓練をすべきと考えるようになってきている。まだ、うまくないね。

おまけ 機械産の比喩
「愛情はカマキリのように甘く、しかし危険な罠」
「喜びはゴボウのように地味だが、栄養豊富」
「怒りは雷のように突然、そして破壊的」
「悲しみは荒野のように広がり、果てしなく深い」
「太陽光は果物のように甘く、しかしその栄養は限られている」


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