G-Lon note#6 数学の授業を見つめ直す~まだまだ自分は甘かった~
そもそも教科を学ぶ意味って何だろうか?私は教科学習を2つの側面でみている。
①教科(学問)の問いから,教科のよさ(本質)を味わう(学ぶ)こと
②日常生活の問いから,教科の見方考え方を使って解決し創造すること
算数数学の新学習指導要領では以下の図が頻出する。右側の【数学の世界】が①にあたり,左の青い箇所【現実の世界】が②にあたる。
数学を例にしたが,きっとどの教科でも同じような図が描けると思う↓↓
私の授業デザインは以下のように心がけている。年間の授業時間数も【数学の世界】が7割,【日常の数学】が3割をイメージしている。
本記事では,特に右側の【数学の世界】での私の反省とこれからをまとめてみた。
まだまだ自分は甘かった。。。
【日常の数学】を扱いたいがために,いわゆる教えないといけないことは7割で終わらせることを心がけていた。それは決して急いで教え込むのではなく,一斉一律の授業をやめたのだ。生徒の学習の方法,理解のスピードは全員異なるという観点から,生徒が「いつ・どこで・誰と・どうやって」学ぶかを決められる授業にしようと心がけていたし,そこは間違っていないし,手ごたえもある。しかし,教科書をなぞるだけの授業になって,教科(数学)の本質にぶつかるような学びができていなかったのではないか。
井本陽久氏(いもにい)から学ぶ
NHKのプロフェッショナル仕事の流儀 数学教師の井本陽久さんの授業を考える(吉田新一郎氏のブログより)
https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/01/nhk.html
著書「いま、ここで輝く。 超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室」を読んでみた。頭に冷水をかけられたような衝撃だった。
間違えないように,一歩一歩正しいことだけを教えられて,その通りに問題を解くだけでは,試行錯誤のチャンスがない。試行錯誤の経験がなければ,始めてみる問題に取り組んで思ったような結果が出なかったとしても試行錯誤の仕方が分からずお手上げになってしまう。それでは世の中のほとんどの問題に対応できない。
別解づくりワーク,実験・観察ワークの授業
10月25日,オンラインのキャリアガイダンスセミナーに参加したときに,広尾学園の数学教師の堀内先生の講演を聞いて,響いた言葉がある。
堀内先生はほぼ毎回の授業を「別解づくりワーク」や「(数学的な)実験・観察」などで構成しており,その授業のポイントで,
➀WEB検索や教科書。参考書の参照OK!
②今ある数学をフル動員することを促す
③周りの生徒と考えを共有し合い,深める
④指定する別解の個数は「教員が思いついたもの+1個」
この④番に魅かれました。教師も生徒と同じように学ぶために④番があるのだそうです。なるほど,この「教材」と「生徒」の中立の立場に立つデザインに共感しました。
教師の立ち位置
同セミナーで,京都大学の石井英真氏のお話でもとても印象的だったことの一つが以下の図である。
教師が教材と生徒の間に立つ。そして,ときどき生徒の学びをフィードバックする。
知識伝達派からはこんな声が聞こえそうである,
「うちの学校の生徒にはまずは知識がないと何もできない。
まずは知識をしっかり押さえてからだ。」
そんな人に問うが,筋トレばかりして試合のないスポーツが楽しいだろうか。継続できるだろうか。自分の生活と関係のない国の歴史や政治や経済を学ぼうとするであろうか。
つぎにこんな声が聞こえそうだ
「教師は授業放棄していないのか?」
授業はまったく放棄していない。「授業=教える場ではない」,「授業=学ぶ場」だ。この二つの決定的な違いは「主語」が異なる。先生が教えるから,生徒が学ぶ場にデザインすべきである。教師は,生徒たちの学びを傾聴し,質問し,ときに専門性を活かしたフィードバックをする。それが学習者起点の知識獲得型学びである。
反省です。
井本陽久さんの言葉を借りると,「生徒がぶるっとする」体験が私の【数学の世界】(図の右側)には足りなかったように思う。
最後に,石井英真さんの言葉を借りると,
「教師はよく,教材研究を行う。つまりそれが教科への探究である。そのおいしい部分(教師の探究)を生徒に味合わせることが教科の魅力や可能性である。」(山﨑の解釈あるかも)
自分の授業の中身を再デザインが必要だ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。