G-Lon#1 教育機関で「皆勤賞」やるやらないの議論の本質
現役高校教師として,問い立てラボで50回以上のイベントを主催している山﨑が,教育について,GU(自由)にG-Lon(持論)を届け(Gift)ます。
みなさんはどちら派でしょうか?
2020年10月5日の中国新聞にて,このような記事がありました。
両者の気持ちはすごくわかります。どちらも正解だと思います。皆勤賞があることで+に働く人もいれば,-になる人もいる。それを分かって実施しているかどうかかと思います。
皆勤賞を賛成する側の本質には,
【皆勤賞賛成派】
➀学校にくることは正しい。休むことはできるだけ避けたい。
②みんなに「平等な機会」で評価をしている
➀については,学校に来ることが+に働く人もいれば,-に働く人もいるということを認識しているかが大切です。これからは,積極的な転職や,兼業,副業も盛んになり,生き方働き方が自由になるなか,学び方も自由であるべきです。もちろん私,教師としては全員が+に働いてほしいと願って色んな実践を行います。一方で最初は-だったけど,後から+になる生徒もいるででしょう。その逆もいると思います。
②機会は均等かもしれませんが,評価の軸が偏っていることに気づかないといけません。フィンランドの職員室には↓のような写真が貼ってあるそうです。
(公平に選抜したいから,テストをします。あちらの木に登ってもらえますか?)
皆勤賞が得意なサルさんもいれば,ときどき休むことでベストパフォーマンスができるゾウさん,多様な生徒がいるということを認識しないといけません。
また否定する側の意見の本質には
【皆勤賞を反対する側】
➀皆勤賞で苦しむ子どもがいるから,一人でも苦しむ人がいれば辞めた方がいい。
②苦しむこどもを助けることが,こどもたち全員の幸せだと思っている。
気をつけないといけないのは,皆勤賞を励みに頑張れる,受賞することで喜ぶ子どももいる生徒を排除しかねないことです。苦しむ子供をゼロにしたいのはどの教員も,私だって同じです。しかし,それがゆえに,喜ぶ子供たちを排除しようとしてる危険性にあると思うのです。例えるなら「多様性が大事だ!だから多様性を受け入れない差別するような人は許せない!!」と言っている人が多様性ではないということです。多様な人こそ,差別するような人や犯罪を犯してしまう人の気持ちを理解してあげる必要があると思うのです。
とにかく,これを議論するうえで二元論で語るというのは,複雑な人間らしさをかき消しかねない議論だと思います。
ちなみに,私は「ディベート」は情報収集という面ではメリットもありますが,あまり好きではありません。賛成・反対の二元論で勝ち負けを考えるのは,一昔の正解が明確な時代には適していたかもしれませんが,正解が複雑かした現代ではちょっと合わないかと。AとBの意見を聞いて,Cを生み出す議論が必要なのではないかと思っています。
そろそろ私のG-Lonです。
(1)皆勤賞はやるべきです。表彰の形は議論の余地がありますが,しっかり誉めてあげるべきです。しかし,在学中にあまりアピールするものではないし,「皆勤賞が最もすぐれた賞だ」という誤解を招く方法は避けるべき。終わってみたらいつのまにか皆勤賞だった,振り返るとすごいことをしていたというのが評価のあるべき姿だと思っています。(これは「評価」について,いつか記事にしたいことです。)休みながらも頑張っている生徒もいる,3年間や6年間でなく,1年間休まず頑張った生徒がいることも伝えるべき。(そして言葉にはしなくてもよいが,学校にくることだけが正解ではない。将来は積極的な転職や兼業副業だってあるはずです。)
(1)は,きっと多くの学校や先生が認識して実践していることではないでしょうか。
(2)もっと異なる軸でたくさん「評価」をしてあげるべきです。たとえば,「たくさん先生に質問をした」「掃除を毎回怠らずに丁寧に行った」「毎朝一番にきて勉強をした。」「友達に勉強をたくさん教えてあげた。」等。
「そんなのいちいち表彰できないよ」と言われるかもしれませんが,表彰ではなく「評価」です。ホームルームが事務連絡だけで終わっている先生は意外に多いです。朝や帰りのHRや授業や休憩時間に先生からの何気ない声掛け(フィードバック)が大切です。
このときに大切なのは,クラスで本当に一番多いかどうかの正確性ではなく,1度だけの事実でいいのです。先生もクラス全員をずっと監視しているわけではないので,生徒の1度だけの行動をみて,そこに至るまでのその子の考えを解釈する必要もあります。そして,大切なのは,「客観的な事実」→「先生,自信の思い。なぜその行動が価値あるのかを伝える」ことです。「この客観的な事実」がないと,ただの先生の思いを一方的に伝える厚かましいと思われる,おだてられていると思われる可能性があります。
この記事ではその評価の一部だけしか論じていないことも議論の歪みを生んでいると思います。
(3)皆勤賞のレースに生徒が自由にエントリーできる制度にしてもいいのかなと思います。いつのまにか全員が同じレースに載せられ同じ軸で評価するのは,一斉一律に工場で製品をつくる考えと同じです。教育のいたるところにはこの「一斉一律指導」があるがゆえに歪みを生じている箇所が多いです。ここで大事なことは生徒が考え「判断する」場面を作ることです。そんな環境を学校で増やしたいですね。
皆勤賞以外にも,読書の貸し出し冊数,提出物が遅れなかった人等,色んな表彰を作ってあげてもいいかもしれません。しかし,表彰疲れを起こしてしまいそうですね。誰かを評価すると誰かが評価されない人がいるのではなくて,本当は,一人ひとりが尊くて,誰にもなけない表彰されるべき人間性があるんだよ,というそれに気づけるために教育活動やフィードバックを行うのが教育なのではないでしょうか。
皆勤賞をきっかけに,学校のあるべき姿,教育とはどうあるべきか,を考えられる素敵な機会をいただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。