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病を受け入れる【精神障害者として生きる】

 大学からの友人で、新卒で入った会社でパワハラを受けつつコロナまっただ中で結婚式をして退職し、引っ越していった人のお話です(前回訃報が来た友人とは別の人です)。
 私が、精神障害があり手帳の取得をしていることをオープンにしているので、色々相談というか、愚痴を聞かされた話です。

 私にとって、傷害とは自分が抱えてしまったもので、ハンデで、自分が乗り越えなければならないもの。赤の他人が「こいつが障害になって邪魔」という意味とか、「漢字の表記やめようぜ」とか、そういうものを無意味だなぁ、と思っています。
 なので、「私はこういうことが苦手です!助けてほしい時こういうことしてもらえると嬉しいです!」みたいなもので、隠す意味もないという感覚です。なので、オープンにすることに抵抗はありませんでした。むしろ、隠さなきゃいけないの?と。

 友人からは何度か電話で話を聞いていました。
 それはパワハラだね、とか。結婚式には参加できないけどメッセージ贈るね、とか。引っ越し作業頑張れ、とか。

 同じことを何度も聞きました。
 病院で診察を受けた際に精神科を勧められた、とか。薬を服用するのが怖い、とか。
 病院に行きたくない。薬が怖い。行かないといけないのかな、嫌だな。精神疾患って遺伝なんじゃないの。私は違う。しょうがいしゃじゃない。

 ……何度か通話をしましたが、毎回こんなことを聞かされました。その度に、病院できちんと診断してもらって、適切な薬を処方してもらった方が、生活が楽になったよ、という話をしました。

 きっと、根底にあったのは、精神科での診断=「障害者」になるという偏見
そして、病があるということを受け入れられないことだったのだと思います。
 彼女の偏見をどうにかすることなど、できるはずもありませんでした。他人を変えるということは、自分も変わること。その労力を割いてもどうにもならない。

 数年経ち、私は彼女と連絡を取るのをやめました。私の心がすり減るだけだったからです。


 少し話がズレて。大好きな漫画がドラマになっていました。もう少しメンタルが回復したら録画を見ようと思っています。
 『Shrink』や『リエゾン(ドラマは観れてません)』、『ひだまりが聴こえる』など読んでいるのですが、自分の/身内の病/症状を受け居られらない方は一定数いると思います。
 分かろうとしてもらえるのは、少し嬉しい。でも、寄り添って心の奥底に隠した叫びまで聴き取れる様に寄り添ってもらえたらもっと嬉しい。
 分かってもらおうとして、分かってもらいたくて、分かってもらえないこと、分かろうとしないことが一番しんどくてつらい。
 A型事業所で、必死に言葉を紡いだものをゴミにされた経験のある私の言葉です。説得力、あるでしょう?(笑ってやってください)
 中々、寄り添ってまで理解してくれようとする方はいない。その方の心が削れちゃいますから。

 私の場合は、全力で泣いて叫んで。その状況を言語に整理して、頭の中にある引き出しにしまっていくという感覚です。それをしまう時、つらかったこともしんどかったことも、笑いながら話せるように落とし込むのがコツかも知れません。
 激重な話が「やってられっか!あっはっは!」と笑い飛ばせちゃう。そんな風に話を聞いてもらうのが、私は楽しくて少し嬉しいです。
 根っこにある幼少期の私が家庭内で笑顔を増やそうとピエロをやっていたのとは違って。他人のためではなく、私のために。
 
この重い問題を笑い飛ばしてくれ!笑ってくれ!!!どーにもなんないぜ!!!あっはっは!!!