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A型事業所【精神障害者として生きる】

 前回のラストに登場、なかぽつ。担当者が雑に思い出して紹介してくれた。
 在宅で事務作業ができるということで利用開始。中々見つからない好条件なのでありがたい。
 就労移行支援でお世話になった相談員さんを希望し、諸々の手続きをお願いした。
 また、精神特化の訪問看護を利用開始。週1で看護師さんが来て話を聞いてくれる。
 この時も保証人として父親が召喚された。世間的に信用がなさ過ぎて泣けてくる。

4月 利用開始

 契約時に責任者(推定50代男性)で担当者に「分からないことがあったらその都度聞いて」と言われるが、それが嘘だった(この件は後半に)。
 会社については、責任者、サービス管理責任者、社員(バイト?)、利用者(ほとんど在宅)で構成されていた。責任者が全利用者の対応をしていた。サビ管の存在意義……。
 開始月にアセスメント表を1日かけて書いた。『私の障害について』という障害者枠で就職する際に書くものに似ていた。自分の障害、それへの対応を詳細に書くものだ。
 月に一度面談があるので事業所に向かう必要がある。そこで、1か月分の日報を渡され、来月全部書いて来てね!と渡される。左半分には既に印刷されているので、それを右半分に書き写すだけの作業なのだが。

1日の流れ

始業:メールで報告
作業内容:データ(数字の羅列)をエクセルに書き写していく
     データが足りなくなるとメールで要求するが、基本的に気づいてもらえない。メールのタイトルが内容になっていく。
就業:メールで報告

備考:週に一度電話連絡が必要。

7月 対応が雑で無責任

 データが中々届かず、電話や面談で責任者に伝えていた。
 それに対して、「メール?全員から来てるのに見れるわけがない」「一人でやってるからムリ」「一人だけ特別対応できない」とそれはそうだがナニを言っているんだ?ということを責任者が言い出す。ならば何故報告メールをしているんだろうか。
 アセスメント表には事細かに自分の障害、困った時の対処法、手助けして欲しいことなどすべて開示している。1日かけて書き込んだ意味は……?
 モヤモヤが増えていく。

9月 不幸が重なる

 実は、利用開始時には9月の妹の結婚式を控えていた。そして、食べ物のアレルギーが出るぐらいにはストレスだったのだが、そこに責任者の無責任な言動が重なる。

 9月頭に友人の訃報が届く。メンタルやばいな、と一応報告した。少々精神的にいっぱいの状態なので、という念のための報告だった。
 すると、責任者が勝手に電話をかけて来て、勝手にキレ始めたのだ。一応反論やこちらの意見を述べたが「気分が悪い」と切り捨てられた。電話口で私は号泣、手が震えてスマホを落とす、それでも責めるのをやめなかった。
 そして、最終的にこう言った。
「契約する時に説明したやん」
「あーあ、この時間無駄になった。他のことできたのに」
 いや、かけてきたの、あんたやねん。

妹の結婚式翌日

 週一の電話連絡のことを考えると吐き気や震え、涙が止まらなくなった。この事業所は在宅で事務作業ということで始めた。ようやく自立への道を拓けたから続けたいが、責任者が酷すぎる。こんな状態になってまで続けなくてはいけないのだろうか?何故、こんなモラハラを受けているんだろうか?

 ちょうど訪問看護さんが来る日だったので、色々聞いてもらった。
「様子を見てて、この事業所やめた方がいいと思ってたけど、人生で大きな決断になるし言えなくて……」
 と、言われるぐらい酷い状態で事業所を続けていた。らしい。客観的に。
 ああ、これは続ける意味がない。責任者に殺されるぐらいなら辞めよう。
 相談員にも報告し、手続きのため翌日病院で主治医に相談し「うん、辞めな?」と言われる。主治医の一言は最強の切り札だ。それも相談員にお渡しして処理してもらい、その後責任者とは一切連絡を取らずに辞めた。

 なかぽつの担当者とは、その後全く連絡が取れていない。訪問看護の方に連絡が来たことはあるらしいが、直接話はせず1年以上が経過した。

終わりに

 これが、私が経験してきた就労移行支援と就労継続支援です。
 多分、特殊ケースな部分もありますが、こういうこともある、ということで。
 これから利用を考えている人、よく分からないけど知りたい人……。誰かの役に立つと嬉しいです。
 質問があればコメント機能などでいただければ、お答えしたいと思っています。

 番外編で、精神科を勧められたけど受け入れられない大学の友人について書こうかと思っています。
 私が病を受け入れるのがすんなりできたのに対して、一般的に精神科での診断=「障害者」になる、ということでハードルを高く感じる方がいる、と気づいたお話です。よろしければ、そちらもお読みいただけると嬉しいです。