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就労移行支援センターでの就活【精神障害者として生きる】

 就活段階に入ってからの記録だ。
 ハローワークには職員さんも同行してくれた。ハロワでは障害者担当の方が対応してくれる。
 オープンで就活をする場合、面接に職員さんが同行してくれることもある。

当時の記録

 ハロワ、二回目(職員同行)。最新で求人が11件しかない中から、気になる4件を持って行き、話を聞くと……。
①身体障害者のみの求人 
②役所なので人気すぎるので時間の交渉で不利な可能性 
③A型 
④実績があるが遠い
 ①に泣きそうになった。明記できないのは当然。差別だから。でも、期待させないでほしい。
 学生時代の就活で、地元の総合職を受けようとした。総合職なら県外に飛ばしてもらえる=親から逃げれるって思っていたから。でも、その会社に女性の総合職はいなくて。だから、試験を受けることも面接すらも門前払いされた。
 『女だから』
 そんな会社、一般でも入社しなくて正解だったと今なら分かるけど、あの時の悔しさは消えていない。すごくつらくて、悔しくて、泣いた。いっぱい、泣いた。キャリセンの人に泣きついた。自分ではどうしようもないもの、努力のしようがないもので、差別されて門前払いされたのが悔しくて。
 今は、障害の種類で差別されている。
 何故、どうして。精神障害者の求人をしない理由を教えてよ。そしたら、納得できるかもしれない。
 なんで、ダメなの?ここまで、がんばってきたよ。訓練受けて、外に出れるようになって、薬飲んで、生きて。もう、どうがんばればいいの?合理的配慮とか書き出したよ。それを見ても駄目なの?
 精神障害者だって色んな人が居る。色んな症状抱えて生きてるのに。それも知らない人たちが企業で『普通の社会人』やってて、『障害者』を知ろうともせず切り捨てていく。いや、見殺しだ。
 努力しても、報われない。社会を動かすべき立場の人が、企業が、変わってくれない。
 学生の時に思った。こんなに悔しい思いをさせる世代を早く終わらせたい。今も、同じ。何も変わってない。どうすれば終わるのか。方法は分からないけど。何度、こんな涙を流せばいいのだろうか。
 別に、産まれたかったわけじゃない。生きたいわけじゃない。女に生まれたかったわけじゃない。うつになるつもりもなかった(なりたくなかったけど、性格上なってたと思う)。こんな、生きにくい世の中で、障害者雇用で働いて、そのあと普通に働いていくの?

 優しくない社会で、私は全部隠さず生きてやる。それが今の生きる原動力。嫌な思い、いっぱいするだろう。また、泣くんだろう。でも、私みたいに苦しんでる人が、がんばろうって思えるような生き方をしたい。参考資料の一つになりたい。

 当時の決意は今も心に残っているが、何も結果は残せていない。
 残念ながら、就職にはつながらなかった。そう上手くはいかない。もちろん、就労移行から就職している人たちはいる。
 
 数年引きこもり、A型事業所の利用を開始することになる。

次回 就労移行支援センター番外編

 当時の私が残していた記録があったので、公開してみます。
 利用者の活動内容とは直接関係のないものです。