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Twitterを「光の世界」として見る人たちがいる #トイアンナマガジン

あなたはTwitterをやっているだろうか。私のnoteをご覧なら、やっている方のほうが多いだろう。日本で一番普及したSNSことTwitterの魅力は、長らく「匿名で何でもつぶやける点」だと思われてきた。

facebookは原則として本名でしか登録できない。InstagramやYouTube、TikTokは個人特定につながる情報が多すぎる。完全匿名が可能なのは、文字でのやりとりがベースになっているTwitterだけだ。

ここではイジメのつらさも、会社の愚痴も書いていい。Twitterは当初、そんな場所だった。由緒正しき陰キャとして、私は2009年からTwitterを愛してきた。

光のTwitterユーザーが生まれた

ところが、である。デジタルネイティブの人口が増えるにつれ、「実名で発言する」ことは普通になった。かつては「身バレ」などといって、ネットで本人情報が明かされることを恐れる文化があった。

それが今や、普通の会社員や学生が顔出し・本名出しでSNSを行う。そして、実名・顔出しアカウントをビジネス目的で利用する、光のTwitterユーザーが生まれた。

光のTwitterユーザーたちは、私が「Welcome to Underground」とフヒフヒ笑っていた2000年に、HTMLをいじっていなかった。そして、SNSをリアルな友達とやりとりする道具として使ってきた。

それが今、会社に命じられてなのか自主的になのか。光のTwitterユーザーたちは、ビジネスの道具としてTwitterを使う。実名でやりとりし、気軽に交流会を開き、出会いを次の仕事へつなげていく。それは、従来のTwitterユーザーが想定していた使い方と、全く異なる。

かつての「ネチケット」を持たない人たち

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そして、彼ら・彼女らは、Twitterにいる闇の住人が見えていない。闇といえばあまりに装飾的すぎるだろうか。要するに、ネットは匿名のものと考えている人たちの「常識」が通じない。

たとえば、闇のTwitterユーザーに共通する「常識」のひとつに、他人から罵倒されることは「普通にありうるし、無視していい」というルールがある。

2000年前後、2ch(現在は5ch)が流行していた時期、インターネットではカジュアルに中傷が飛び交っていた。それが正しい・正しくないというよりも、多数の人間が混ざり合うインターネットだからこそ「善悪の区別もつかない危ないやつ」が混ざるのは仕方ないと思われていて、そういう人を「荒らし」と呼び、スルーする文化があった。

「荒らしを無視」していい文化を支えていたのはネット上のエチケット、通称「ネチケット」という、オンラインで誰からともなく生まれた共通ルールだ。ネチケットは2000年代に明文化され、一気に普及した。

ネットでは、横暴に振る舞う人が普通にいる。ただし、ネットで横暴に振る舞えば、無視されるし、自分も無視していい。これは、インターネット2000年代出身者からすれば、当たり前のことだった。

しかし、それから約20年が過ぎた。ネチケットは死語になった。

SNSで仕事をする実名アカウントたち

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そして、「どうやらSNSで仕事が増えるらしいぞ」と、これまでSNSを活用してこなかった世代が、次々とTwitterやInstagram、facebookを始めた。そして、実名でキラキラしたビジネスマインドを語り、相互フォローでお互いを称え合う空間が生まれた。

彼らは互いに批判する文化を持たなかった。現実で名刺交換した相手と殴り合わないように、リアルの延長としてネットを扱っていた。

それはそれでいい。多くのインターネット老人はそう思っていただろう。新しい文化圏で何やらキラキラした仕事の話をしているが、別にこちらへ害はない。よそはよそ、うちはうち。私のような陰キャは変わらずインターネットでフヒヒと笑っていればよかったのだ。

だが、いつしか世界は交わるときがくる。それが表に出たのが、この記事だった。


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