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【音声コンテンツ】「#53 大人の"アイデンティティ・クライシス"の特徴と処方箋」(安斎勇樹の冒険のヒント)を聴いて

音声コンテンツで気になる部分を取り留めなく書き留めていきます。

今回採り上げる音声コンテンツは、
安斎勇樹の冒険のヒント
「#53 大人の"アイデンティティ・クライシス"の特徴と処方箋」

です。

安斎勇樹さんの上記コンテンツ関連X投稿は、こちらです。


書き留めた切っ掛け

安斎さんのvoicyは「CULTIBASE Radio」からの流れで聴いており、いつも気づきを貰っている楽しみな音声コンテンツです。

最近、noteで採り上げた「toitoi哲学ラジオ #8 仕事の「自分」とプライベートの「自分」は同じ「自分」か?」で『プライベートの「自分」』という言葉に自分の中でひっかかりを感じていたことが、今回、この音声コンテンツを書き留める切っ掛けとなりました。

Xより書き留め

自分が何者なのかうまく捉えられなくなる「アイデンティティ・クライシス」は、一般的に思春期〜成人にかけて発生する若者特有の課題だと思われがちですが、むしろ30〜40代において構造的に発生する"中年期に不可避のキャリア課題"でもあることがわかっています。

なぜ大人は掴みかけた"自分"を中年で見失うのか。その原因は、身体的な変化に加えて、生活、職場や家庭における役割が複層的になって、自分を構成する変数が増えるから。
・・・・
この時にアイデンティティをうまく再統合できないと、「仕事か、家庭か」「マネージャーか、プレイヤーか」のような極端な二択を漂流したまま、アイデンティティ難民に陥りがち。

Xより

プライベートの「自分」とは?

私自身、40代となり、以前と比べて家庭における役割を意識するようになりました。

子どもから自分がどのように見えているのか?

こんなことを以前よりも考える機会が増え、この考えが多少なりとも日々の言動に影響を与えるようになりました。

また、以前は、一人で映画を見たり、本を読んだりと、プライベートな時間を好きな時に、好きなだけ持つことができました。

そして「今、この時間は、プライベートの時間だ」と明確に分けて認識することが出来ていたと感じます。

しかしながら、最近、プライベートだと考えられる時間が、職場関連学習や家庭での子供との関わりと複層的になり、特定の時間を切り出して「プライベートな自分」であると認識することが難しくなっているように感じます。

「toitoi哲学ラジオ #8 仕事の「自分」とプライベートの「自分」は同じ「自分」か?」で『プライベートの「自分」』で感じたひっかかりが言語化できたように感じます。

今の私は、『プライベートの「自分」』を、時間という枠の中で、認識しずらいのです。

自分の中で、他者の関わりにおける、何らかの役割(親・職業人)を意識する時間が以前よりも増えました。

なぜ本棚やnoteに意識が向かうのか

安斎さんは、xの投稿で、成人期(中年期)のアイデンティティ・ステータスとして4つの類型を上げています。

安斎勇樹さんxより抜粋

時間という意識上の区切りの中で「プライベートな自分」というアイデンティティを認識しづらくなった私は、本棚やこのnoteという物理的な場を用いて「プライベートな自分」を見出そうとしているのではないか?

「3.模索・探索型」が、今の自分にあたるのではないか?

そんな風に、この半年の「本棚を耕す」「noteに記事を書く」動きを言語化してみました。

自分自身のことすら上手く言語化できない自分がいること。
自分の身体的な動きを言語化する事で、自分自身を知ることが出来ること。
そのためにコンテンツに触れてくこと。

興味深い日々です。

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