かまぼこ

つたない黒のクレヨンの何筆かで描かれたみたいな隘路。そこに私は目的もなく歩きさまよっているのだが、今日ばかりは少し機嫌の悪さがある。一つ咳をうむっとして、喉の奥にひっそりとした罪悪を路上に掃き出し、一本の煙草をくわえた。なに、ただの人参を吊り下げられた馬のように生きようというだけの話だ。ぢりと音を立ててその命を煙と快楽に変えてゆくこの白い棒は何も言わず、私に訴えかけてくる。燃やせ、もっと燃やせ。そういうことが続いているときにはたいていろくなことにはならない。頭の疲れが極まって痛み始めたころ、それに伴ったはらわたの奥底の鈍いきらめき。これこそが体に染み渡る鉛の原因なのであるが、それについていくらかの省察をしたところで質量は消えないので、あまり考えないで置くこととする。

ただのかまぼこの程度でいいのだ。例えばいくらかの足音に揺らめきをたてるゼリーとか、いくつかの死骸がちりばめられた桜の木というものがないとしても、かまぼこの、うすい柔肌のような凹凸、いのちを感じさせる紅、板に足跡を思わせる肉片のいくつか、そういうものだけで心が満たされうる時もある。少しだけ醤油さしを傾けてやる。物理法則に従って夕焼け色のしずくがぽつ、ぽつ。隠し味の砂糖を、親指の先端と儚い小指に少しつまめる程度でいいのだ…砂糖の結晶は瞬き一つの間に夕焼けを彩る星空の姿をかなえて、そうして満足そうに消え失せる。木製の箸のざらざらとした手触り、確かめるともなく砂糖に少し汚れた指で感じて、木のにおいをかいでみようとした幼少期を思い出す。母の乳房よりも柔いかまぼこを箸先でつまみ、こともなげに、ひょいと持ち上げる。しとしととした感じが空気を吐息のように切り裂いて、私の眼前にまで登ってくる。表、裏、かまぼこには存在するのだろうか。どちらに対してもさして違いはないが、うまく夕焼けに染まったほうを表としよう。なんとなくそうしたくなって、さきほどの星空に沈めてみると、なんというか、オイルまみれの切り身みたいになってしまった。こんなはずではなかったので指先に込めていた力をほどく。なすすべもなくかまぼこは重力に抱かれることになる。過去のことには目もむけず、もうひと切れのかまぼこに手を付ける。しかしこれは…完璧な表裏だ。二枚目のかまぼこには完全ある表裏が存在した。どんな科学的根拠をもってしても覆せない表の性質が宿っていることを感じた。早速裏面に夕焼けを飾ってやる。お前は太陽だ。夕焼け色の空を背景とできるのは太陽を置いてほかにない。よくぞやり切った。そうしていてもたってもいられなくなり、すぐさま口に放り込む。箸、指、腕、それらの連動によってなされる美しき機械的な食事。脳の中にはかまぼこを味わう以外の思考はないはずだが、肉体に刻まれた記憶は手段として合理的に働く。思わずかまぼこに追い付くために舌を伸ばしてしまうほどである。とたん、この魚の記憶の塊を味という変換でこの世にあらしめた舌という名の分析機関に驚愕する。白く濁る歯で柔を感じながら砕いていく。困難というもののいっぺんですら感じさせない、苦しみという苦しみのない世界、切り拓いていく使命感の存在しない、ただの肉欲的な食感と、お前は誰だと問うても誰も何も言わない味。主張のない人ごみの中をかき分けていく中で自分も人ごみの中にいていいのだといってくれるのはお前だけだ。この海広しといえども何も言わないのはこいつ程度のものだ…愛しさに胸が膨らみ、かすかに酸素を取りいれる。余計な窒素や、二酸化炭素というものもともに取り込むことが苦手ではあったが、そういう雑念を魚たちが取り払ってくれている。今私の口の中は海と化したのだ。無数の魚たちが喜びにあふれ泳ぎ回り、かと思えば太陽が明るく照らしてくれている。飲み込むことの罪深さを覚えて、そうしてやはり仕方がないので飲み込んだ。

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