少年向け漫画誌に合うかどうか分かりませんが、戦争ものです【タイトル未定】

キャッチコピー:


桜の花でさえ、重く悲しい意味をもって描かれた時代――彼らは時代とどう向き合い、どう乗り越えたのか。
 

あらすじ:


舞台は、昭和10年頃~戦後(昭和20年代)の東京。
主人公・大畑隆一は足に障害があり内向的だが、絵を描くことが好きな若者。
日本画を学ぶべく芸術学校に入学した隆一は、青海晴久など仲間と出会い切磋琢磨する中で才能を開花させ、性格も前向きになって画学生としての青春を謳歌する。
その後、日中戦争開戦で世の中の空気は激変。いつかは戦地に赴く仲間や、障害のため出征できない隆一自身の葛藤もありつつ、美術学校の生徒たちは画道に邁進。隆一は卒業制作で二席、親友の晴久は首席で卒業する。
卒業の2年後、晴久が戦死。太平洋戦争が始まり、軍国主義化の波は美術界にも及ぶ。戦争画を手がけなければ画家としての道は閉ざされる状況になり……
 

第1話のストーリー:


昭和10年、春。主人公の大畑隆一は、当代随一の美術学校・帝都芸術学校(芸校)日本画科に入学する。
入学式の会場で、隆一は青海晴久に声をかけられる。隆一は入学の前年から高名な日本画家の私塾に通い腕を磨いてきたが、晴久も前年に新潟から上京し、同じ画家のもとで鍛錬を重ねていた。
晴久は、この画家から「青海君と同様に、画架(イーゼル)を使って日本画を描く者がいる。君と芸校で共に学ぶことになるだろう」と聞かされていた。日本画は床の上に紙を敷いて描くのが一般的だが、椅子に座り画架を使って描くのは少数派だ。
(隆一は足の障害のため、晴久は油絵から転向したために画架を使って描くようになった)
そんな共通点を持つ仲間との出会いに心強さを感じ、隆一と晴久はすぐに意気投合する。
 
入学式の翌日から授業が始まった。
初めて顔を合わせた時から一癖ありそうだと感じさせてくれた担任・玉井宣はやはり想像どおり、どころか並外れた曲者。
同級生も、抒情画家志望で中性的な印象を与える飯村薫や、機器類の細密描写を得意とする小笠原誠など、常識でははかれないような者ばかりだ。
隆一は「ここは化け物屋敷か」と委縮してしまうが、胸襟を開いて話してみれば彼らもまた「描くことが好きでたまらないだけの若者」に変わりはなかった。
 
そんな中で、隆一と晴久は休日に遊んだりするようにもなる。
隆一は、晴久の姉でタイピストとして働く女性・みづいと引き合わされる。彼女にはお似合いの恋人がおり、田舎暮らししか知らない人が聞けば目くじらを立てるような「発展的」な日々を謳歌するモダンガールだった。
みづいの恋人・佳幸は人生の先輩として敬うに値する好青年。隆一は、このカップルに銀幕のスターか何かを見るような憧れを抱きながら交流する。
 
幼少期に負った怪我が原因で足に障害が残り、内向的な若者に成長した隆一。しかし芸校入学や晴久らとの出会いによって、彼の生活や内面は少しずつ変わりはじめる。

 

第2話以降のストーリー:


帝都芸術学校日本画予科の生徒としての新生活が始まって1か月が過ぎた頃。
日本画の基礎を習得すべく小品をひたすら描くだけの日々にも飽きてきたある日、大畑隆一は季節の花・つつじの素描で基本から外れた手法を取り入れる。同級生は絶賛するが、担任の玉井は「教わっていないことをやるな。こんな絵を描くのはまだ早い」と酷評。
これに反感を持った生徒らは、クラスのムードメーカー的存在の大西発雄や青海晴久を中心に「ボイコット」を企て、翌日の授業をさぼって学校近くのビヤホールで昼間から飲んだくれる。しかし、店を抜け出した生徒から知らせを受けた玉井がビヤホールに駆けつけ、怒るどころか飲み会に合流。玉井は「今は基礎をしっかり身につける時だ。いつか自由に描ける日のために精進しなければいけない」と教える側の真意を伝えたうえで、生徒らと対等な立場で芸術について語り合う。
教え子を本物の画家に育て上げたいという信念を持ち、同時に芸術を愛する同志として生徒に接する玉井と生徒たちの間に、強い信頼関係が築かれる。
 
昭和10年当時は、月に1回ほど軍事教練に参加して体育の授業に毛が生えた程度の訓練に取り組む(隆一は訓練に付き添い、仲間の姿をスケッチしていた)以外は、軍や戦争などはさほど身近ではなかった。
5年後に開催が決まっていた東京オリンピックの芸術競技(絵画や音楽、文学などで、スポーツを題材とした作品を出品し出来栄えを競う。大正元年~昭和23年まで行われていた)出場の夢を語ったり、モダニズムという日本画の新潮流に刺激を受けたりしつつ絵に向き合う。
校外でも、晴久や彼の姉・友人、発雄などと交流し、晴久の恋の成就に向けて動いたり、みづいと佳幸の結婚により隆一の淡い恋が終わってしまったりと、画学生たちの青春の日々が続く。
 
昭和11年、予科を終える直前に二・二六事件が起きる。これを境に、戦争というものが少しずつ身近になってきた。それでも学校主催の写生旅行に出かけたり、恋愛がらみのことで隆一らの宿敵・小塚実と晴久がもめてしまったり、晴久が故郷で仲間とともに開いた展覧会を手伝うため新潟に出向いたりと、学生らしい日々はしばらく続く。
しかし翌12年に日中戦争が始まり、日本全体が軍国主義一色に染まってしまう。
 
描きたいと思える題材にも出会えないほどに世の中が様変わりした中で迎えた昭和14年、隆一らは最終学年に進級する。
卒業制作で、隆一はスポーツで躍動する人々の姿(東京五輪は開催中止が決まり、芸術競技出場の夢も断たれていた)を、晴久は彼自身が「東京の象徴」と捉え愛してやまなかった銀座の洋品店の情景を、卒業後は絵を諦めると決めていた発雄は恋人の像を描く。
晴久が首席、隆一は二席という成績を収めた中で迎えた卒業式。玉井は、卒業後は戦争の影響で自由に絵を描くことなど叶わないであろう教え子たちの前途を嘆きつつも送り出す。
彼らが芸校を卒業した昭和15年は、紀元二千六百年でもあった。それを記念した様々な催しがあり、時局画(後に戦争画と呼ばれる)ばかりを集めた大規模な美術展も開催された。
 
卒業後、隆一は家業の書店を手伝いつつ、学校から斡旋された挿絵の仕事をこなしながら生活。発雄は実家と絶縁して商家の婿養子となり、義父が営む店で商売人としての修行を始める。
晴久にも在学中に交際を始め、のちに結婚を申し込んだ陽子という恋人がいた。発雄と晴久それぞれが、いつか出征する身として生き急いでいる感があった。
晴久は「故郷・新潟の芸術の発展に貢献したい」と帰郷。陽子とは遠距離交際を続ける。
彼の実家は、県内屈指の歴史を誇る神社の宮司を務める家柄。旧制中学で臨時講師を務めたり神事を手伝う合間に、他の神社から奉納額の依頼を受けたり武運長久を祈願する絵を描くよう頼まれたりすることで葛藤していた。
 
日本神話を題材にしたもの、あるいは富士山・日の出・桜の花なども、結局は国威発揚――つまり戦地に赴く者を鼓舞するため、果てはお国のために壮烈な最期を遂げよ、と死地へ送り出すためのものだった。
当時の美術界には「彩管報国」という言葉が浸透していた。いざ戦争となればなんの役にも立たない画家には、せめて絵筆(=彩管)によって国に貢献するという姿勢を見せてほしい。つまり、戦争を肯定的に捉えるような絵をどんどん描け、という圧力だ。画家に限らず、作家や音楽家なども「文弱」という言葉でひとくくりにされ、創作活動の場は窮屈極まりないものになっていた。
晴久の葛藤を知った隆一も、人を殺す手伝いをするために絵筆を持つことに疑問を感じ、例えば時局画で評価されたとしても誇りに思うことなどできないだろう、と考える。
 
その年の冬、晴久に召集令状が届く。彼は隆一と陽子を新潟の実家に招き、最後に手がけた大作(日本神話の一場面を描いていたが、暗に死の覚悟を象徴するものだった)を見せてから出征する。
 
昭和17年。晴久戦死の知らせが届き、発雄も出征してしまう。
一方で、同窓生の小笠原誠は軍事雑誌の挿絵画家となり、飛行機や戦艦、兵器などをお得意の細密描写で描き注目を集める。同時に油絵にも挑戦、時局画展に出品した大作が入選する。
飯村薫は念願かなって少女誌専属の抒情画家になったものの、おしゃれを封じられた軍国少女ばかり何百枚も描かされる日々。その後出征するが、虚弱と判断され即日帰郷となる。
そして隆一らとは犬猿の仲だった小塚は、少年向けの漫画家に転身。軍国主義を子どもたちに植えつける国策漫画を手がけ、人気者になっていた。
戦争絡みのものを描かなければ画家にはなれないことを再認識した隆一は、反抗の意味も込めて筆をおく。障害のため出征できない身であることを非難され、自分に何ができるのかわからず葛藤する日々が続く。
 
そして、昭和20年。長く続いた戦争が終わる。
晴久の知人を頼って新潟に疎開した後、絵に対する葛藤や当地で起きた触雷事件を目の当たりにしたショックなどで心身を病んでしまっていた隆一は、終戦の知らせを受け徐々に復調。その年の秋に帰京する。
隆一と父が切り盛りする書店は神田にあり、街は空襲の被害を免れていた。まず親子でこの店を再開させると、「尋ね人の貼り紙を貼らせてほしい」という依頼など本を買う以外の目的で人が集うようになり、井戸端会議場のような場としても機能し始める。店はいつしか「よろず相談所」と呼ばれ、世話好きな隆一の父の活躍もあって街の人々の再出発に貢献する。
やがて、「先輩とともに小さな出版社を立ち上げ、女の子のためのファッション誌創刊を目指す」という飯村、「罪滅ぼしのつもりで、今までにないジャンルの作品を作るつもりだ」という小笠原が店を訪れる。
さらに、復員した発雄、そして晴久の恋人だった陽子も店に集うようになる。
地元民や旧友の再出発を後押しするために奔走してきた隆一だったが、仲間から「こんどはお前が一歩踏み出さなければ」と背中を押され、久々に絵に向き合い始める。
……

手直ししたものをアップしてみた!(10/9~)

例の応募作の原文(第1回分)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2回以降①)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2回以降②)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2回以降③)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2回以降④)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2回以降⑤)|中野徒歩 (note.com)

↑↑ここまでは「青春篇」的な感じ。

↓↓以降はガッツリ戦争な感じになっていきます。

例の応募作の原文(第2部のつもり①)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり②)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり③)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり④)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり⑤)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり⑥)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり⑦)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第2部のつもり⑧)|中野徒歩 (note.com)

↓↓第3部に続く。相当辛くなってきたけど、明るい方向に行く。はず。

例の応募作の原文(第3部のつもり①)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり②)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり③)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり④)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑤)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑥)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑦)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑧)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑨)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑩)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑪)|中野徒歩 (note.com)

例の応募作の原文(第3部のつもり⑫)|中野徒歩 (note.com)

↑↑第3部終わり! ようやく乗り越えた。
↓↓これから戦後編。明るい日々になるはず。

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