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野原工芸のシャープペンシル、ファーストインプレッション

野原工芸のシャープペンシル(旧型)が届きました。昨年十月に注文したので、四ヶ月待ったことになります。

野原工芸のペンをめぐる言説については、その木目の美しさに着目した議論が相当の比重を占めているように思います。また、野原工芸のペンの強みは軸の美しさにあって、それさえ堪能できれば書き心地は二の次だという姿勢もなかには見受けられます。

それ自体は何も悪いことではありませんが、そこから飛躍した、「美しい軸だが、書き心地はそこそこだ」という印象が、ともすれば形づくられやすい土壌があることには注意すべきでしょう。

かくいう私も、四ヶ月待つ間には、〈書き心地はよければうれしいが、とはいっても山奥の小さな工房じゃないか……そこそこであったとしても何も驚かないぞ、仮にそうであったとしてもがっかりしないでおこう〉と何度も予防線を張りました。期待の裏返しといえなくはないのですが、まったくもって失礼なやつ(私)です。

野原工芸シャープペンシル(ミネバリ)

さて、初めて持った感想は、〈ああ、きみは重さ、重量バランス、ミネバリという樹種の触感……を総動員して私の手を選んでくれたんだね(うれしさのあまり文意に合理性を欠いてやがるな)〉というものでした。

初めて持つのに、ここまですっぽり嵌まった(しっかりと姿勢がきまった)ペンの記憶はちょっとありません。また、華美に走らない控えめな木目はまったく私の好みです。首と尻のマットな黒い金属部が、外観を引き締め、木軸を際立たせる役割をうまく果たしています。

人差指と中指は、黒い金属部分(首のほう)にあてがってもよいのでしょうが、せっかくだからと木軸まで両指をずらしてみます。そこに親指をそっと添えるととても書きやすい。後部は、人差指と親指の付け根の間に位置どり、まるで万年筆を持つときのような、ペンを寝かせた構えになっています。

そこで、ふと感じたのは、そうして持つには少し短いなということでした。もっともそれは、書いているときにふと目に入る、見栄だけの問題です。

万年筆であれば、人差指と親指の付け根の間にリアヘビーな後部を載せることで、逆にペン先は浮き上がるような感覚(あくまで感覚)で、軽やかに書けることがあります。

一方、このペンはおそらくフロントヘビーで、前部の重みによってペン先を推進している節があります。

それはふだん主として万年筆を使う私の印象で、実際には重心は中央付近にあるそうです。だから「前部の重み」というよりは、「落ちていこうとするペン自体の重み」とでも言い換えたほうが当たるでしょうか。なお、万年筆のように、ペン先を滑らせるのにインクフローの助けは借りられませんから、その重量バランスの設計は理に適っていると思えます。

だから、このペンの重量バランスでは、人差指と親指の付け根に後部を載せる必要がありません。そこに載せずとも、ペンはしっかりと安定し、姿勢がきまります。

私の場合も、そこでペンを支えているわけではなく、たまたまそこに後部があるから載っている、触れている程度の感覚です。つまり、ペンが少々短く見えたとしても、機能的な瑕疵にはつながりません。

そもそもこのペンは、例えばパイロット・カスタム74のキャップを外した長さよりも長いです。したがって、カスタム74のキャップをポストせずに書くことがあることを考え合わせると、このペンの長さに不足などないと知れます。

また、ふだん万年筆のキャップをポストして書いている私は、ペンの後部がかなり突き出した光景を見慣れていたという事情がありました。少し経ったならば、このペンを構えたときの見栄も、私の目に馴染むのではないでしょうか。

さて、木軸に添えた指のうち、人差指と中指の位置はあまり変えずに、親指を少し前方に送ったり、後ろにずらしたりすることでペンを立てたり、寝かせたりすることができます。私はだいたい寝かせて書いていて、ここぞ(どこぞ?)というときに少し立てて書く感じです。

ペンを立てると、その後部は人差指側に振れます。そのときにはペンの後ろがけっこう突き出た、見栄のよい構えとなることがわかりました。恐らくそれが、本来のシャーペンの構えなのではないでしょうか。

おもしろいことに、どうした心理作用なのでしょうか、その見栄のよい構えが担保され、ペンを寝かせた構えはあくまでバリエーションであると捉えることができるようになると、そのときのペンの短さなどまったく気にならなくなりました。

おもしろい心理作用だと私は思いましたが、もしかすると単に、ペンを寝かせたときの姿を見慣れてきただけのことかもしれません。

じっさいにペンを手にして、その能力は私の期待を充たしたばかりか、上回っていたと知りました。とりわけ、「落ちていこうとするペン自体の重み」がペン先を推進してくれるので、指は進行方向をガイドしながらついていくだけでよいという感覚(あくまでも感覚)が、とても気に入りました。

その感覚があるなら、このペンは日々のタスクの記録のみならず、いま、専ら万年筆を使っている原稿の走り書きにも使えます。その発見がうれしかったです。

なお上記は、ふだん主として万年筆を使う私が、あまりシャーペンだということを意識せずにこのペンを持った感想であり、もっと一般的と思えるシャーペンの持ち方での書き心地とは通じない可能性があることを、公平を期するために敢えて申し添えます。

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