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「死」への欲求について


情緒不安定なので、今回は普段僕が感じている「死」への欲求について書きました。
結構脱線しました。まあ便所の落書きだと思って眺めてください。

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現在、というかここ数年はずっと「死にたいとは思ってないけど100%生きたいとは思ってない」ってところをキープしてます。

言い換えると「生きてるのがめんどくさいけど死ぬのはもっとめんどくさそうだから生きてる」って感じです。

比較衡量というか消去法というか。

親が見たら泣きそうな文言ですね。
まあうちの親は変わってるので泣かないとは思います。蛙の子は蛙です。


こないだツイッターのタイムラインで40代だか50代のおじさんの「この歳までひとりで生きてきて全てがめんどくさくなってるけどなんかダラダラ生きちゃってる」みたいな絶望に満ちた新聞投稿の画像見たんですが、「おーまさしくこれの一歩とは行かないけど数十歩手前だ!」って思いました。

前々回の記事の通り、僕は結婚する気がなく、かと言ってそれ以外になにか大きな目標もなく、となんとなく目先の楽しみだけを享受して生きています。
今はそれなりに満足していますが、周りが「家庭を持つ」とか所謂一般的な「幸せ」を手に入れていくのを眺めつつひとりで歳を重ねるのは孤独とか絶望をどんどん深めていくのでしょう。
ひとりで生きるっていろいろと楽ですが、長く続けるのは並大抵の精神力では厳しいんだろうなーと感じる今日この頃です。

と、なんか活字にしたら結構ヤベー感じがしますが、我ながら上手くやってきている、上手く自分と付き合えてるなーと思っているので、この先もこんな感じでだらだらと生き続ける予感がしています。まあ人間の感情なんていつひっくり返るかわからないんでなんとも言えませんが。


あと死なないもう一つの理由としては、望んで生まれてきた訳じゃないにしろここまで育てた両親に申し訳ないなあという気持ちがあるからです。なんだかんだ大学まで出してもらって総額数千万はかけてもらってるので期待(してるかは知りませんが)に沿えず勝手に死ぬのも酷い話だなあ、と。
両親に対する気遣いの心という最終防波堤ですね。
なので一応生きる上での当面の目標は「親より長生きする」です。

そんなこんなで親には勿論のこと、基本的に人に気後れしています。誰ですかそうは見えないとか言ったのは。

時々嫌なことがあって「死にたい→自殺」と脳内でコマンドが入力される時も、とりあえず他人に迷惑とかかけたくないしなーってところに一番に直結して思いとどまることが多いです。
自殺方法によって、とかあると思いますが、方法以前に死んだら死後の色んな処理を誰かにやってもらわなきゃいけないんですよね。死んじゃえばどうでもいいのかもしれないですけど、死んだ人間が生きてる人間に迷惑かけるのってやっぱり申し訳ないなっていうことで、僕の脳内常識人がいつもディベートで勝利を収めています。今のところ完勝です。

まあ自殺をするというのは人に迷惑かけたくないなあ、痛そうだし辛そうだなあ、みたいな雑念とか生きる希望とか諸々を断ち切って行為に及ぶ訳で、生前に起こす最大限のパワーを振り絞った行為だと思うので、僕は基本的に無気力なのもありますし、特別辛いこともなく「生きるのしんどいわ〜」ぐらいの考えの人間はやっぱり自殺なんてできないですね。パワー不足です(こんなパワーあってたまるかって話ですが)。


話は変わりますが、最近知り合いの方が若くして亡くなりました。
死因を聞いてみると、深夜に家でお酒を飲んでいてコンビニに追加のお酒を買いに行ったものの、途中の公園のベンチで何らかの理由で力尽きて座って寝てしまって朝冷たくなってしまっていたとのことでした。

最初この話を聞いた時はなかなかショックだったんですが、不謹慎ながら後からだんだんと「羨ましい」と思っておる自分がいます。

かねてから死ぬ時は苦しまずにそして誰にも介護とかの迷惑をかけずにポックリいきたいと思っているので、実際その方が死ぬ直前どうだったかはわかりませんが、いつの間にか、そしてお酒をのんで気分が良いまま、というのはかなり自分の理想に近いなと思った次第です。

ちなみに何かを察した母親から「あんたも気をつけなさいよ!」と言われました。


そんなこんなで生きててもこれといって特別大きな不幸も幸せもない中、ちょっと嫌なことがあったり、徒労だらけの終わりの見えないお仕事ばっかりでここのところグニョグニョと気が滅入ってて、いっそ隕石とか地球に衝突しないかなーとか思っていたんですが、阿佐ヶ谷姉妹ののほほんとしたエッセイ集読んだらなんか癒されました。オススメです。


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