自立したい 共依存ってなに?
今日は一日中かけて加藤諦三「モラル・ハラスメントの心理構造」を読んだ。どうも母親の行動は父親のモラハラから影響を受けているだろうと思ったのもあるし、この本とかこの本でよく引用されている書籍だと、母親の行動自体モラハラなのかも?と思ったからだ。
父親は分かりやすく暴言を吐いたりものに当たったりするタイプである。人を殴っていないのが不思議なくらいだ。だからよそから見てもやばいと分かりやすいし、自分も悪影響を受けたと納得しやすい。
母親は本当に微妙である。まず父親のモラハラの被害者だし。その中で仕事をして、子育ても一応して、ととても良い母親に見える。けれど父親のモラハラから子どもを守ったことはない。それを指摘すると後悔しているとかごめんねとか言うのだけど、わたしとしてはそれもなんだかしっくりこない。
本では言語より非言語的コミュニケーションに注目した方がいいと書かれていた。それを少し振り返ってみる。母親は基本的に、楽しそうにするということがない。見たことない。それで愚痴は多い。働いていた時は仕事の愚痴だったし、いまは父親や祖父の愚痴を言われる。聞きたくないのでやめてくれと言っても、その場ではそうだねと言うけれどしばらくしたら忘れるみたいだ。
直接的に、あなたのためにわたしは苦労してるんだと言われたことはない。でも行動や他の言葉を見ていると、これが大変、あれが辛い、疲れた、体の不調、などわたしにネガティヴなメッセージを発している。ほぼいつも。暗にあなたのためにこうなったのだと言われている気分だ。
考えすぎだろうか?そんな気もする。でもそれこそが隠れたモラハラの手口だと言われたら、それもそうかもという気もする。自分の感情を基準にしてみると、確かにお前のせいと言われていると思って生きてきた。保育園児の頃からそうだ。仕事が大変(あなたのために稼いでるのに)。少しでも休みたいな(あなたのために寝る時間も削ってる)。そう感じて生きてきたことは確かだ。
母親に真意はどうなのかと聞いても絶対真相は分からない。こういうのは無意識のはたらきだと思うから。母親は、自分では真剣に子どものためを思っていると考えているはずだ。別に嘘もついていない。でもたぶん、ちゃんと心の奥を探ったら、自分のため、というのが出てくると思う。しかしそれをわたしが気付かせることは不可能だ。
だから真実を探そうと考えるのはたぶん良くないアプローチで、自分が何を感じたかを重視するのがいいのかもしれない。そうすると、やっぱり母親には恩を着せられて罪悪感を抱かされてたな、と思う。それは確実にある。そう考えると、これは共依存みたいになってるんだろうし、母親からも離れるというのが適切な対応だと思う。
さてじゃあ離れましょうと考えてみる。本では、お金がとか将来がとか逆ギレされるかもというのは全部言い訳なので今すぐ離れろと書かれていた。
ここで言いたいのは、言い訳して動かないのはやばい、ということだと思う。今すぐ、という言い方はたぶん不適切だ。なぜならすぐ動くことのデメリットもけっこうあるから。
わたしの場合、確かに親と今すぐ縁を切ることは不可能ではない。でもそれをするには大学を辞めて行方をくらまし、福祉の世話になるか仕事を探すかということになる。それをしたとき、親と縁を切れてスッキリとだけ思えるはずがなくて、親のせいで何かを諦めたという恨みが残ると思う。
夫から逃げたいという人も、行政の助けを求めたり子どもの生活のための根回しをせずにじゃあ逃げようと夜逃げするとけっこう大変なことになると思う。それで上手くいったひともいると思うけれど、聞いているとすぐ破綻して元に戻ってしまったひともいるようだ。
そんなわけで本に書かれている言葉は少し脅しっぽい。作者はぐだぐだしてついに逃げるチャンスを失ってしまった人を見てきたから強い言葉を使ったのかなと思うけど、それで失敗するパターンを考慮していなさそうだ。そしてモラハラの被害者は、本の通り、罪悪感を覚えやすいので、自分が逃げなかったからこんな酷い目に合うんだと余計自分を責めることにもなりかねない。実際自分もそんな気がしている。だからnoteを書いてみた。
もう少しスモールステップでいかないといけない。現実的な話だと、お金とか支援とかのこと。アルバイトはやった方がいいとは思う。しかしすぐにと考えると体調面が怪しい。でも、母親がアルバイトなんてしなくていいと言う通りだからやめとこうとなると共依存のままだ。このバランスがたぶんとても難しくて、多くの人が躓くのではという気がする。気分としては、今月いっぱいは休み、来月は少し動いてみるのがよいバランスな気がする。そうするとあと2週間くらいは調べ物もやめてゆっくり回復に専念したい。
支援などに関してはけっこう手詰まりに思えてはいる。大学に相談する気にもなれず(みなさん「いい人」なんだけどそれ以上の助けが何もない)、精神科医とカウンセラーは怪しい。行政の支援を調べるのが無難かもしれない。
本を読みながら、これ合ってないなあと薄々思いつつ読み通してしまった。それってどうやら良くないみたい。情報や新たな考えを手に入れたかったのに落ち込んだり振り回されたりというばかりだ。合ってないと思いつつ読んでしまうのは、読み進めたらもしかして良かったと思うところが現れるかもと期待するからかも。でもそれより受けるダメージの方が大きい。ここしばらく、読む本とか試してみるセルフケアは全部感覚で選んでいる。だからだめそうと思った認知療法系とセルフコンパッション系のワークが多いやつは避けた。それと同じように、読む本そのものも、感覚で合うかどうか決めるべきだと思った。好き嫌いがいまいち分かってない機能不全家庭育ちとしては、そのくらい感覚で生きるのが良いのかもね。