いのちの選択を。
命はなによりも大事だ。にんげんひとりの命は地球ほど重い。
全部嘘っぱちだ。世の中の不平等、犠牲、そんなものに目を瞑った戯言に過ぎない。
僕はこの頃ずっと死にたかった。死にたい、という衝動に突き動かされ、死ぬ方法を考え、涙を流しながら布団に潜り込む。そんな夜が何度あっただろうか。
命というものは何だろうか。死ぬ時はあっけない。けれど意外と頑丈で、死にたいと願ってもなかなか死ねない。死にたくないひとがあっさりと死ぬこともある。善人が、才能に溢れるひとが、心優しいひとが早逝し、大悪党が長生きする。
僕にとっての命、それは何を置いても、僕の、僕だけのものだ。誰が何と言おうと、これは僕のもの。誰かに使われるなんてありえない。僕がどうしようと勝手だ。
だからこそ死にたい。親に復讐するため。僕の命を以て親の罪を明らかにするのだ。
でもそれも下らないと思い始めた。僕の命はもっと大事なもののため、そう、例えば人類の未来のために使うのだ。僕が、僕の命より大事だ、と心から思った時に使うのだ。
そんなの宗教みたい?若者の青い妄想?そうかもしれない。でも今のところ僕は、そうやってしか生きられないし、そうして生きたいと思っている。
実際には、もっとあっけなく、事故とか病気とかで死ぬんだろう。でもそれまでに、なにか爪痕を残すのだ、大事な何かを守るために。それは今のところ、人類の幸福で、つまりはこれから産まれてくる子どもたちの幸せだ。僕の子どもじゃない、僕は自分の子どもを欲しいとは思わないから。そうじゃなくて、もっと普遍的な、概念としての子どもだ。もしかしたら他の生物かも、地球人ですらないかも。でも今の僕、今の人類に捉えられる未来は単純なホモ・サピエンスの子孫たちだ。その未来が僕の命より大事なものだ。
だからクソみたいな奴らの為には命を使わないことにした。