死に至るこころ、それからそれから

 今年は良いことも悪いことも山のように起こった年だった。だった、というより今もそうで、流行り病に罹り、治りかけだけれど床に臥したままの年末である。

 ちょうど1年前、腕に山ほど絆創膏を貼りながらキーボードを叩いて投稿を始めた。考えたこと、ただ思ったこと、好きなこと、妄想めいたなにか、或いは嘘。それらを気が向くままに書いた。書き殴った、という方が正しいと言えるくらい、感情ばかりが先走った文章たち。
 それらが百も超えて、意外にも多くのひとに読まれた。こんなに続くとは思わなかった。

 今年を振り返って、言いたいことは、とりあえずよく生きてたな、ということだ。未遂をしたこともそうだけれど、やたらハードスケジュールで、普通でもストレスになるような出来事の連続で、息つく暇もなく走り抜けたような感じだ。だからいま緊張の糸が切れて寝込んでいるのかもしれない。

 楽しいこともたくさんあった。遊びもそのほかも。優しいひとが沢山いるんだってことも分かった。世界が敵じゃないかもってことも。

 でも辛いこともたくさんあった。来年もこうだったらやってられないかもな、という気もする。もう少し忙しくなくなりたいような。上手く時間を使いたいような。

 今年はやりたいと思ったことを沢山始められた年でもあった。描きたいと思っていた絵とか、小説とか、ミニチュアやアクセサリー作りとか。
 来年はどうしよう。曲でも作ってみようかな。

 こうして自分を追い込んでいくことにもなるのだけれど。上手くやりたい。でも難しい。時間がたくさんあったらいいのに。それより体力かな、やっぱり病気が。

 なんだか病気は良くなってきたような気はして、油断は禁物なのだけれど、それなりにやっていけそうだ。たぶん。

 何年か前に、もうここからは余生だと思って生きていこうと決めた。だから別に頑張る必要なんてない、と。そこから数年、気がつけば未だ頑張っていて、結局生を諦めることはできていなくて、だからといってとても前向きという訳ではなくて。いちど死んだことにしたあとの僕、その僕もたいして変わっていないらしい。たぶん頑張っていない人生というものが自分にとって理解不能なものなのだ。ずっと何か頑張っていたから。それ以外生き方を知らないような気がする。それが良いか悪いかは置いといて。

 生きるの向いてない、ひとは苦手だし、心のどこかに希死念慮を飼っていて、でもやりたいことは山のようにあって、無駄に崇高な理想を抱えて生きている。

 傷と矛盾だらけの人生の、それが凝縮されたみたいな一年だった。

 きっと来年も、死んだふりしてまた蘇る。まるでゾンビみたいに。

いいなと思ったら応援しよう!