きみの声を聞かせて
TwitterにはRT機能がある。Twitterを使っている人は当たり前のように知っているだろうし、きっとほとんどの人が使ったことがあると思う。私ももちろん使ったことがある。
しかし私はRTがあまり好きではない。
もともとツイートした人は何かの文脈の中で呟いた言葉だろう。前後の呟きやその人の日頃の呟き、趣味や考え方を知っていれば、ある程度誤解なく理解できると思う。しかしRTはそのコンテキストから切り離され、呟きだけが別の場所へと流れてしまう。だからそもそもどんな背景を持つ呟きなのかが分からなくなる。そこが苦手だ。
さらに、RTした人自身の意見や感想が分からない、というのも苦手な理由のひとつだ。そのツイートに対して何を思ったからRTしたのだろう。共感?批判?驚き?そして、なぜいいねやリプではなくRTして、自身のタイムラインに反映させたのだろう。フォロワーにも知って欲しい情報だったから?よくぞ言ってくれた!と思って自分の意見と同じだと扱って欲しかったから?それとも誰かへの攻撃?RTした人自身の考えが全然読めないから、意見や感想がRTだけされてタイムラインに漂ってくるのが好きではない。RTへのコメントが付いていれば、ああそんなことを思ってみんなにこの呟きを広めたんだな、と分かるから問題ないのだけれど。きみが何を考えているのか知りたくてフォローしているのに。きみの言葉で教えて欲しいのに。全然知らない人のRTばかりされるのはつまんない。
あと、悲しい事件事故のニュースをRTする理由もよく分からなかった。せっかく楽しむためのSNS(たぶん)のはずなのに、どうして心が沈むような真似をするんだろう、と。しかし最近は家族や友達や同僚に「ねえ、あの事件のニュース見た?」って聞くテンションでRTしてるのではないかと考えて、それなら分からなくもないと思った。やっぱり悲しいニュースはSNSでは見たくないけれど。
もちろん素敵な絵や写真などの作品、〇〇展がいつからあるよ、といった告知などのRTは気にならない。こういうのが好きなんだなあ、とかこれはいいなあ、と思うだけで済むし、RTの意図もこれって素敵だよ、と紹介したいんだろうなとある程度推測できるからだ。そこから思わぬ出会いがあったりもするから、どちらかというと好きなRTの仕方だ。
最後に、これはたぶん社会的な問題にも近いと思うけれど、間違った情報や対立を煽る呟きのRTは本当に勘弁して欲しいと思う。特に健康関連(メンタルヘルスとかライフハック的なものも含めて)は、クリティカルに他の人に害を与える可能性があることを考えてみて欲しいなと思う。軽い内容に見えても、本当は病院に行くべき人がその内容を試している間に病院に行きそびれて悪化するとか、そういうことは十分ありえる。特に専門家でない人の情報を安易に広めるのはやめて欲しいし、これはみんなに知って欲しいな、と思っても出来るだけ裏を取ってからRTして欲しい。とは言ってもそんなことするのは面倒くさい。それは私もよく分かる。
あとは配偶者や仕事相手への悪口とか。これだから〇〇は、に繋げてしまうと対立を生むばかりで何も解決しない。自分で愚痴を言うだけならまだいいけど、他人の愚痴をRTするのは問題が深刻化するだけではないだろうか。
結局、人は自分の見たいものしか目に入らないし記憶しないし、あまり考えずに共感したり怒ったりしたものについて人に話したくなってしまう、そんな生き物なのかもしれない。私だって見たいものしか見ていない(ミュートワードめちゃくちゃ沢山ある)。SNS、特にRT機能があるTwitterは人のそういう欠点を物凄く拡張させているのかもしれない。
という訳で私はあまりRT機能を使わない。たまに使っている時(特に何かの意見とか問題についてRTしている時)は結構色々と時間をかけて考えてRTしたんだな、というのを誰かが知っていてくれると嬉しい。ほぼ必ずコメントも付けるし。何か疑問や批判があれば、言ってくれたら可能な限り対応するつもりだし。
そもそもこの話をTwitterに書かずnoteに書いているのも、話が長くなって書ききれないから、というのもあるけれど、どうせTwitterに書いたって誰も読まないでしょ、と思うから、というのが理由である。それでがっかりするなら最初からそんなに読まれていない(と自分では思っている)noteに書いた方がいい。長い文章を読もう、と思っている人の比率も多いだろうし。Twitterだとマジで一瞬でツイートが流れていくしそれへの反応も反射ゲーみたいになってしまう。そのせいかこんな弱小アカウントでも誤読されたことは何度かある。ちゃんと読むか分からないなら無視して〜〜!!!
私、たぶんTwitterのこと嫌いだな。でもやめられないな。一番よろしくないのはそんな私かもしれません。